幸せ、我慢、ストレス耐性
幸せ、というコンセプトについて、ここのところよく考えている。
「ピンヒールははかない」に、「幸せとは瞬間的に感じるもので、恒常的な状態のことではない」というラケルという友達の発言を紹介したが、一般的には「幸せになる」というコンセプトが目指すべきところとして喧伝されているなといつも思う。
今年、若林恵さんのカンファレンスに出席したときに、わかさんが聴衆に「幸せになりたいって人」この中にどれくらいいる?と聞いたら、過半数の人が挙手したのでびっくりした。それが#こんにちは未来 のエピソードになったくらいだ。
「幸せ」とはつかみどころのないものである。いつも不思議なのは、みんな、何を幸せと定義して、人生のどのポイントでそこに到達しようとしているのだろうか、ということだ。たとえば、「幸せ」といえば、結婚と結び付けられることが多いように思うのだが、仮に30歳で結婚したとしよう。望んでいたように子供をもうけたとしよう。それでも人生にはきっといろんなことが起きる。友達や家族が病気になるかもしれないし、事故が起きるかもしれない。揉め事が起きるかもしれない。
言いたいことは、幸せというのは、状況に紐づくと思ってしまうと危険だ、ということである。幸せは、大好きな人たちに囲まれてご飯を食べる時間とか、目指した場所に到達して見える光景とか、揉め事のあと仲直りをして抱き合うこととか、そういう瞬間的な瞬間に感じるものだからだ。そして、幸せでない時間の経験が、幸せな時間を幸せなものにしてくれるのだから。
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