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#待つということが難しい現代

「自分の子供を産む。」 「新しい命の誕生を迎える。」 

について、私なりに思うことを少し。(といっても長くなると思います)


「新しい命を授かる。」

赤ちゃんのためにもできる限り身体に優しい生活をし、できる限り幸せな、充実感ある出産体験をしたい。

妊娠中は色んな事を考え、感じ…

そして何よりも無事に赤ちゃんに出会いたいですね。

私は、昔からなぜか「子供を産む=布団が敷いてある部屋で静かにウンウンしながら産む」

という風景が頭にあって (古い時代劇みたい… 産婆さんの話をきいていたからでしょうか)

妊娠した時も、検診などで病院へ通いながら色々考えた末、自宅で産みたいという望みが強まりました。(結果助産院でお世話になりました。)


昔見た風景が一番記憶に刻まれていたんでしょうか。

知り合いの子持ちの方に話を真剣に聞いたことはそれまでなかったし、仲良しの間で子供を産んだのも私は早いほうでした。

病院=病を治してくれるところで産む、という観念がなかったのも実のところです。

そして、母から出産の話を聞いたのも妊娠してからのことでした。

よくよく考えると、今は情報が溢れ何でも調べられる時代ですが、「妊娠」や「出産」は、自分が体験する、または子供がほしいな、と思うまで

「よーし、調べよう!」と自らチェックすることはあまりないかもしれませんね。

産後育児を経験している今は、お産は未知の世界で、普段授乳中のママすら見かけることは少ない。「出産」についてもっと自然に人生の一部、人生の選択肢の一つとして身近に感じられるように何かできないかな、と思います。

知り合い助産師さんたちとの間では、「学校教育に助産師のお話し会などを取り組んで、お産について伝えることができたらいいのにねー」 といった話が出ます。

実際に見たり体験談を聞くことは とてもいいことだなと私も思います。

さて、スペインには、日本と違って「助産院を開業する」という文化がほぼありません。病院勤めをしながら出張助産師として自宅お産をアテンドする方はいらっしゃいます。

妊娠から産後の継続的サポートをされるドゥーラさんの数も増えています。(病院で出産同伴できることろは少ないですが)

地方によっては点々と、【お産の家】と呼ばれる施設が数か所ありますが、お産の家で産みたい、自宅お産をしたい、と望んでも選べるほどはなく、病院での出産が一般的です。


私個人の経験ですが、

初めて妊娠した当時、スペインで検診へ行ったり知り合いの話を聞きながら、「お産が管理されている」という感覚が、不安要素として私の中で影ついていました。

助産師の存在感は理想より低く、産科医がどんどん介入し、それによる
医療介入はべらぼうに多く、なんだか病人扱いされながら、女性は産ませてもらう側、それがほぼ当然の女性の立場であることが疑問でなりませんでした。

「なんだか私が望むお産のイメージから遠い気がする・・・」と感じたんです。


自宅お産がいいよ、と勧めようとしているのではありませんよ!

でも、「自分が産むんだ!」 と積極的になれない環境は、お産の生理的プロセスに反しているのではないかと思うんですね。 

ママと赤ちゃんが主人公であるべき、プライベートで大切な体験なのだから、周囲はできる限り主人公のリズムを尊重し、サポート役として同伴することが望ましい。

ところが、人間は道具を使う生き物です。便利なものがあるとついつい頼ってしまう。

そして病院は薬剤や医療技術を使用し効率的に運営する場所です。医療技術のレベルが高いスペインで介入率が増えるのも文化の一部、なんでしょうか。


でも赤ちゃんには一人ひとり生まれる意思があり、女性一人ひとりのリズムも産み方も違います。

お産には、よりパーソナルな対応と周囲の忍耐が必要とされるものです。

【CURE】と【CARE】は意図が異なります。


ある研究家の方は、人間的お産が強いられる今、スペインでお産の医療介入率が必要以上に高いという現状に対して、

「技術を教えることは『待つ』ということを教えるより簡単なのだ」

といっていました。


ママや赤ちゃんのリズムよりも効率性を重視しがちの環境で、

お産の件数をためてはいけないなどというプレッシャーがあると、スタッフも「待つ」ことは障害要素になってしまう。 

気になるのは、

その現状は女性の身体に対する信頼感を減らしてしまっているのではないかということ。「自分が産むのだ」という姿勢が取りにくいことになっているのではないかということ。

産婦が望んでいない、または必要ではない介入をし、女性の産む権利を、赤ちゃんが生まれる権利を奪っていることもある、ということ。

そして、医療介入による、授乳や育児、ママの心理など、影響がありえることはあまり知られていないということ。

日本でも医療介入がどんどん増えていると聞きます。CARE中心にサポートしてくれる助産院。その数は減っていると聞きます。

では、私たち利用者はどうすればいいの??

自分から、産む側として主体的に備えましょう!

ひとつは、正しい情報を得て、自分が産むのだという気持ちを忘れないこと。

誘発剤、局部麻酔、会陰切開や帝王切開。他にも分娩においての医療技術はたくさんあります。

正常に進んでいれば本来ならまったく必要ない処置です。でも、逆に自分も受けることになるかもしれない処置でもあります。

ぜひ、それぞれがどういった処置なのか、その利点や赤ちゃんへの影響、副作用など、エビデンスに基づいた情報を調べた上で、お産に挑んでほしいものです。

そうすれば、自分はどうしてほしいか、どのように産みたいか、スタッフの意見も聞きながら、自分で決めることができます。赤ちゃんのためにどうしたいか、自分から選ぶことができます。

そうやって出産前からスタッフとのコミュニケーション、信頼関係を築くことはとても大切です。

立会い出産なら、パートナーとも相談しながら自分の気持ちを伝え、スタッフとママのコミュニケーションの架け橋となって支えてくれるといいかもしれません。

そして、私が言われたことでとても助けになった言葉があります。

ー赤ちゃんにも個性と生まれる意思がある。ママが不安に思っていることが解消でき安心することは、赤ちゃんの安心につながり、「生まれたい」「ママにあいたい!」 という気持ちが大きくなるんだよ。-


だから、ママと赤ちゃんがより満足し、安心な環境で生まれるためにも、
産む側の私たちには選択肢を準備するという、ある意味「責任」があると思います。

私たちが産むのだから、どういうオプションがあるかしっかり教えてほしい。

正しい情報を得た上で「選び」ながら主体的に臨んだお産なら、
たとえ状況が変わって自分が期待していた通りのお産にならなかったとしても、「できる限りの事をした」 という満足感が残ると聞きます。
「こうあるべき理由があったのかもしれないな」と受け入れやすいと聞きます。

助産師さんなどの出産関係者や出産体験者による情報提供・交流の場で、相談したり意見交換をしながらつながっていく。
これから出産する多くの女性にとって大切な支えになると思います。

そのように妊娠中は、不安要素がなるべく解消できるよう周囲のサポートを得ることや、なるべくポジティブでいられる環境づくりを心がけること。

(友達と会ってワイワイしたり、自然の中を散歩したり、ストレッチなど運動をしたり・・・好きなことをする、でしょうか!)

毎日一分でもいい。ゆったりした気持ちで赤ちゃんのことを想ってみるのも、いいですよ。赤ちゃんと自分の力を信じましょう。

もちろん、いつも元気でいられるわけではありません。

不安だったり怖い気持ち、いらいらすることもありますし、すべて人間なら当たり前に持つ感情ですよね。

デリケートでナーバスになるのもプロセスの一部です。

「怖い」気持ちを受け入れて、文章にしたり、なぜそう思うのか考えてみたり、

誰かに聞いてもらったり。 とてもいいことですよね。皆同じような不安を抱えるものです。

それくらいお産は私たちにとって大切な出来事なんです。

お腹の赤ちゃんを守る、大切に思うママの本能が(ホルモンが)働いてそのように感じることもあるのです。

もうひとつ、私が言われて覚えている言葉に、「授かったんだから産めますよ!」 があります。 

単純に信じて(笑)  「そういえばそうだ!」 と、気持ちが楽になったのを覚えています。

次男を授かったとき、「お産はチームワーク」を自分のスローガンにしていたんですが、とにかく何でも語りかけていました。自分の気持ちを伝えたり、「お腹の中どう?居心地いい?」と聞いたり。 そういったコミュニケーションが私の安心剤になっていました。同じように過ごされた方は多いです。

赤ちゃんが自分を親に選んでくれたんだ。自分は、赤ちゃんが安心して生まれるために助ける役目があるんだ。そう感じました。

長々とお読みいただいてありがとうございました!


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