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『人生転換年表#7』無職カナダ語学留学時代:韓国人女子大学生との出会い

前回は、カナダでのホストマザーとの出会いについて紹介した。

今回は、今でも忘れられない韓国人女子大学生ジヨンとの出会いを書きたい。

彼女との出会いは、語学学校初日。入学事務手続きの順番を待っている間、私が彼女の横の椅子に座ったのが出会い。クラス分けの結果も彼女と同じだった。

ジヨンは韓国の大学を休学して6ヶ月間英語の勉強しに来た。

私「どうして大学休学してここで英語を勉強すると決めたの?」

ジヨン「私は、大学卒業後、韓国の中高校で英語教師になりたいの」

私「なるほど。。。」

ジヨン「留学経験がなかったり、英語が話せないと韓国では英語教師にはなれないの(採用されないの)」

私「そうなんだ(日本もそうなんだろうか??)」

韓国といえば、ソウルオリンピック後、1997年通貨危機を経験し、IMFによる救済を余儀なくされた。通貨危機を乗り越えるために韓国政府は国家を挙げて英語教育に取り組み始め、1997年の英語教育改革で英語指導内容も「文法訳読法/文法と翻訳を中心とする指導」からリスニング、スピーキング、ライティングなど、実用性重視のカリキュラムへと方向転換した経緯がある。韓国の「英語教育熱」を覚えている。

そんな背景を知っていたから、1999年にジヨンが「そもそも英語が話せないと英語教員になれない」と真剣な顔で言ったこの言葉がとても納得できた。

1990年代後半北米に行く時、当時アシアナ航空を使っていたが、その飛行機の中で、韓国人の子供たちがお母さんと留学に向かっている光景も目にしていたのもある。当時「父親は韓国で働き、子供と母親はアメリカやカナダに住む」といった母子留学が話題になったのを覚えている。

ジヨンは心が綺麗な優しい女性だった。と同時に、目標(英語教諭になる)のために、物凄い集中力と精神力で絶え間ない努力をしているのが(彼女がそう言わなくても)感じ取れた。それは日々上達していく彼女のスピーキング力から「結果」からもよくわかった。

電子メールを使っていない時代だったので、当然帰国時彼女とメール交換はしていない。その後彼女がどうなったかは知る由もない。でも彼女のあの意志の強さから、「きっと韓国で英語教師になったであろう」と思う。あれから21年、彼女も今や41歳ぐらいの年齢。彼女と再会する術はないが、その後、素敵な人生を送っていることを願う。

ジヨンとの出会いは今でも心の奥底に大切にしまっている思い出

目標に向かって頑張っていたジヨンの姿は今でも記憶に鮮明に残っている

通貨危機を経験し、英語教育を改革し外に外に目を向け市場を拡大した韓国。

今欧州に住んでいて、現在の欧州での韓国製品の存在感を見ると、90年代当時を知っているだけに「あの復活、すごいなぁ」と思う。その裏には熾烈な競争社会の側面もあるが。



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