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責めるよりも、包み込む

昔の記憶が突然フラッシュバックしてきた。

4人の子どもを持つ専業主婦。転勤族の妻。夫は帰りが遅いく、泊りがけの出張もまあまああり。

全部自分で決めたことだとは言え、小学生以下の4人の子どもたちをひとりで見ながら家のことをすることに、相当疲れ果てていた。

主人に愚痴れば、最終的には、
「全部自分で決めたんだよね?!」

こう言われたら、心の中でつぶやくしかなかった。

(「はいそうです。仕事を辞めたことも。4人子どもを育てることも。こういう生活を選んだことも。」)

そんな自分に嫌気がさしていたし、なんでそんなこと決めてしまったのだろうと、責任感の全くないことを思うことも正直あった。

当時は、がむしゃらに頑張っていて、そのことを自分でも認めつつも、
誰かに、社会に、もっと認めてほしい気持ちがあったり、どこかに怒りを感じたり、外で仕事をしていない分、私は家のことを人の倍以上頑張らなくては存在価値がないと思っていた。

「自分の責任」という言葉に、最もなことです。と思いながらも、重さと、冷たさを感じてもいた。

自己肯定感を学んで、あの時の自分を、自分で認めてあげることができるようになった。

でも、今でもたまに、今回のように、急にその時の感覚が思い出されて、どうしようもないやるせない気持ちになる。私にとって、それだけ、強烈な記憶と体験なのだろうと思う。

それが出てくるたびに、私があの頃の私を、本当に心から、思いっきり認めて、包み込んであげるだけ。

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