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安心してひきこもることについて

新たな情報新たな宣言等刻一刻と状況変化があり、経営のこと、これからのこと、いろんなことを考えていますが、同時に「安心してひきこもる」ということについて今考えています。2月に白梅学園大学の長谷川俊雄先生にフューチャーセッションで講義をしていただきましたが(大分昔に感じます そのときのレポートはこちら)その長谷川先生が、先日投稿で「安心してひきこもれない」ということを書いていました。


『①在宅テレワークパートの自宅待機、外出自粛…とコロナウィルスの影響を受けて、家族が自宅にいる時間の長時間化。②家族の就労の不安定化に伴う減収や見通しが立たないことによる不安感の大きさ。③不安感とイライラによる夫婦間の口論や争いが起きて家庭内の緊張度の高さと関係性の悪化。こうしたことから、◇家族が不在のときにリビングルームで過ごせすことができなくなった。◇親の不安やイライラが自分にも向けられて叱責や存在否定の言葉を投げかけられる。◇家計の見とおしの不安定性によって、今まで以上に就労の強要を求められる。つまり、監視と働きかけが強まり、安心してひきこもることができず、緊張と不安が高まっており、安心感と安全感が乏しく生きた心地がしないという困難に直面しています。現在の閉塞状況のなかで児童虐待やDVの増加と同じように家族間の葛藤の強まりと暴力・ハラスメントに対する相談支援体制の検討は急務だと考えます。』と一昨日の投稿で書いてました。ひきこもりの方々からの相談の内容が最近変わっていると。


そして、長谷川先生が「からだの境界」「感情と意思の境界」「責任の境界」と書いてましたが、そういった普段と違う距離感のなかで「境界線」が今とても引きにくい環境なのかもしれませんね。

自分の大事にしている距離感・ことやプライバシーが日頃と同じように大事にできなかったり、相手の感情と自分の感情がごっちゃになって振り回されたり混乱したり、相手の問題を自分の問題のように感じて混乱したり、と。

外のコミュニティーで自分を客観視したり、外にでることで一旦リセットできていたり、ということが今なかなか物理的には難しい。

はね返すとか拒絶とかではなく、誰かとの物理的な接触をせずにどんな『リセット』や『客観視(=自分の今のバウンダリーを把握するためにも)』が今各家庭でできるのか、をいろんな人と考えて実践していきたい。

先月のリーダーミーティングでは、リーダーのみなさんには『自分語り』の場、と伝えました。今思っている事や感じていることが今の「私の感情」をぽつぽつと話しながら確かめる、それはメディアや誰か近い人の強い感情とはまた別物の、「私の感情」ということを確かめることがまず大事なんじゃない感と。同時に、言葉にしきれない部分は話さない、その部分も含m場を、安心できる境界線(きっとこれまでのオフラインの範囲をベースとするのがよいのではと今は思ってます)をみんなと考えながらつくりたいです。