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選ぶ

 新しい眼鏡を買うことにした。

 時間をかけて、じっくりと何かを選ぶ。わたしはそのような買い物が苦手だ。可能な限り事前に買うものを決めているし、実際に手に取っても、それが本当に欲しいと思えなければ買わないことだってある。

 綺麗に陳列された眼鏡のフレームたちは、かえってこちらが見定められているのかと錯覚するほどに、不思議な威圧感を放っている。眼鏡屋さんという場所は、いつでもどこでもピカピカしていて明るい。眩しくて眩しくて、とてもわたしには似合わない空間。できるだけ早く、ここから立ち去らなければならない。そのためには、どれも同じように見えてしまうフレームたちから、どれか一つを選ぶ必要がある。試しに、フレームの一つを手に取ってみる。そして、すぐに棚へと戻す。こんなに細いと頼りないよな、こっちは主張が激しいかな。言い訳がましい台詞を思い浮かべては、わたしはわたしに選ばれなかったフレームたちから目を逸らした。

 わたしは昔から視力が悪く、眼鏡やコンタクトレンズは生活する上で欠かせなかった。ところがここ数ヶ月の間は、ほとんどの時間を裸眼のままで過ごしていた。もちろん視界ははっきりとしないが、家の中だけであれば、勘で何とかなってしまうのだ。目がよく見えなくても構わなかった。むしろ、わたしは何も見たくなかったのだろう。

 自分の病気を知ったのは、およそ一年半前のこと。好きだったものや大切だったものに対して、心が動かなくなった。地獄は、生きている間に経験すると知った。あらゆる行動が困難になり、自分が何を望んでいるのかわからなくなっていた。それでもわたしは、治療をしながら、大学へ通い、アルバイトをした。必死に目の前にある生活を守った。今考えれば、ただ立ち止まることが怖かったのかもしれない。しかしその必死さは、結果的に自分を守ることにはつながらなかった。
 昨年の夏、休学を決めた。精神的にも身体的にも、どん底に達していた。前に地獄だと思っていたところは、ほんの入り口に過ぎなかったらしい。処方される薬の種類も数も、いつの間にか増えていった。信じられないほど不味い薬を飲んだことがあった。恐らく生まれて初めて、物を口にして「マズい!」と叫んだ。この薬は毎日就寝前に服用することになる。もうこれこそが生き地獄じゃあないか。そのような生活の中で、わたしは新しい眼鏡を買うことにした。

 完成は想像以上に早かった。わたしがいい加減に選んだフレームは、眼鏡屋の丁寧な仕事によって、とても立派な眼鏡に仕上がっていた。最後、フィットしているかを確かめるためだろう、店員がわたしにぐっと近づいてきた。その瞬間。新品の視界は彼の顔面で満ちた。目元のパーツや、マスクの白色。あまりにもよく見え過ぎて、わたしは慌てて目を閉じた。

 帰り道、不意に本屋へ寄りたくなった。わたしは読書が好きだったが、病気で読むことが難しくなったきり、本から離れて生活していた。本屋へ行くなんて、いつ以来だろう。
 真新しいレンズ越しに見るその場所は、少しだけ薄暗かった。その薄暗さが、思いのほか心地よかった。わたしは、ただひたすらに時間をかけて本を選んだ。本たちは、選ばれるためにそこに存在していた。
 導かれるかのように、一冊の短編集を手に取っていた。冒頭一編目のタイトルは「前進、もしくは前進のように思われるもの」。きっとこの本は、わたしを待っていたのだ。この本を読んでみたい。そう感じた自分自身を、わたしは信じようと思った。

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