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動かない時

自分のために綴るnote。
最近私の心の中はいつになく静かな気がするyumiigoです。

その反面、周りはなんとなく落ち着かない。
私の場合は主に会社のことになるのだけれど、誰かがまた退職するからそこへ別の人を配属するだの、業務の割り振りをどうするかだの。

少し前の私だったら一緒になってどうなっちゃうんだろう?私はどう対応すべきなんだ?と心の中で焦る気持ちやイライラする気持ちが湧いていた気がするのだけど。
自分でも気持ち悪いくらい今の私は心が動じてないんだ。

今年の初御籤は小吉だった

心持ちが変わったのかもしれない。
それは良い意味でもあり悪い意味でもあり。

良い意味で言うなれば、俯瞰的に捉えられるようになったんじゃないだろうか。
自分の気持ちはさておき、この状況と自分の立ち位置を冷静に判断できて不安要素が少ないことを心が潜在的にわかっていて私を落ち着かせているのではないかなと推測。

悪い意味で言うなれば、会社に対して期待がなくなったから。周りの人に対しても。
やっぱりイライラしたり腹が立つことって根底に期待があって、そうならないことに感情的になる流れがあるから。
そもそも何も周りに期待がなければ、こんなに穏やかにいられるんだと思った。

転職して早くも7年目経つけれど、前職のやり方とのあまりのギャップに自分がなかなか合わせていけなかったんだと振り返る。

目に見える部分では仕事の順応は早い方で周りにも重宝された。
飲み込みが早いね、勘がいいねと言われて私も笑顔で「ありがとうございます」と応えていた。

けれどそれは上辺だけだったんだと思う。
心が今の会社の方針と前の会社の方針の違いをいつまでも腑に落とせないでモヤモヤしていた。

この会社やばくないか?と毎日、幾度とない回数思ってしまう。(それは今でも割とある)
入社して3年超えたくらいから私は自分なりの正義感を発動させてどうにか是正できないかとジタバタしていたんだ。

けれどこんなひょいっと転職してきた40代の一社員が騒いだ所で誰にも響かないのは当然。
この会社のルールに馴染んできた人達にはなかなか伝わるものでは無い。
気づけば転職組の同士だけが理解を示してくれるだけで、飲みに行っては気持ちを分かち合うくらいしかできなかったんだ。

そして7年目の今になって周りを見渡せば、一緒に気持ちを分かちあっていた転職組の同僚は再び転職をしてみんな居なくなっていた。
私は順応力があるのか?
忍耐力があるのか?
いや転職を考えてもがいたりもした。
でもまだここに居る。
それでも心は割と落ち着いている。

最近は悟りの世界に足を踏み入れつつあるような感覚すら覚える。
みんな繋がっていて、私一人がどうこう出来るものではないんだなあという感覚。

私が思いついて起こす行動がもっともっと大きな視野で見た時に、私がその選択をすることが決まっていたような気になるというか。
どんなにもがいてもその時でなければ変化は起きないんだ。
私だけではなく見えない人達までも影響はするものだから。
なにかしら導かれるものがあるような気がする。
それは悪いことではなくてむしろ良い方向に導かれているのではないかというのはただの予感だけど。

そんな感覚で居なくなってしまった同僚にはエールを送りつつ私は私で居ようと思った。
私は周りを見て私の感覚で素直に判断して自然体でいればいいんじゃないか。
なんかとても当たり前のことに行き着いた。

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