文字に囲まれた世界
自分のために綴るnote。
少しnoteから離れていたのでお久しぶり感のあるyumiigoです。
世間の多くの人と同じく年度替わりということでバタバタしていた。
8年ぶりくらいに仕事の環境がガラリと変わり、期待と不安が7:3くらいの割合で、せっせと新しい環境の準備とこれまでの環境の片付けや後処理を行っていたんだ。
新たな職場環境には期待の方が大きかった。
なのでバタバタとした忙しなさも難なく、少しの「は?」と思うような職場の人の態度にもにこやかに対応できる懐の深ささえ見せていた気がしている。
4月も中旬にさしかかるというのに、まだ片付けも終わりきっていなければ、引き継ぎし切れなかった業務もまだまだあってスッキリ切り替えとはなっていないけれど。
とりあえず新年度の新しい環境を色んな意味で分かり始めた今日この頃。
最近はレポートの提出課題があって悶々と頭を悩ませていた。
普段からビジネスメール1本送るのにも文章を一生懸命考えてしまうし、友達へのLINEも同様、自分の言葉がどんなふうに相手に伝わるのかを気にかけたりしてしまうのだから、頭の中は毎日文章ばかり紡いでいる気がする。
みんなはそこまで文章のニュアンスを気にしたりはしないのかな。
人に自分の思いを伝えなければならないことは、この世界で生きていく上で必須だと思うけれど、その多くを”言葉”で、”文章”で伝えなくてはならない。
感覚的に昔よりずっと文字にして伝えなきゃいけない機会は増えている気がして、文字で伝わるニュアンスが気になって仕方ない。
会社の中ではメールだけでなくチャットでのやりとりも頻繁に行われているし、直接会話していなくてもいろんな人の言葉が文字で溢れかえっている。
私はずっと電話は苦手だと思っていたけれど、あまりに文字ばかりを見ているせいか、耳に入る言葉の方がニュアンスや気持ちも伝わりやすいのかもしれないとか思い始めてる。
結局レポートの課題は3週間くらい前から課題のテーマに対して内容を悩みまくって、書き始めてもしっくりこなくて何度も加筆修正を繰り返していた。
それなのに提出期限のギリギリになって、途中まで書き進めていたそのレポートは嫌になって丸ごと捨ててしまった。
そして最初から内容もがらりと変えて書き直して2時間程度で仕上げた。
それをレポートとして提出したのだった。
この3週間、練りに練った文章は、その時間はなんだったんだ。
いや自分で消したんだけどさ。
まあ私にはよくあることだなと思った。
文章を書くのは嫌いじゃない。
好きという言葉ではしっくりこないけれど、このnoteに書く文章を一人で書いては消してを繰り返してるだけで結構な時間潰しができる。
誰が読むわけでもない自分の今の心を文字化するという作業は私の最大の暇つぶしかもしれない。
そう思っているのは事実なんだけど、どうも最近は身の回りの文字の羅列に疲れてしまっている自分がいるんだよなぁ。。
こんなたわいないnoteへ綴ったこの文章も何週間下書きにいたことやら。
今回は消さずに公開するぞ、と。
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