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みんなで語ればこわくない

ねえねえ 対話って難しくないの
市民の人から怒られたりしないのかなあ
大丈夫 対話って楽しいよ
みんなやってるんだからできるよ
ちょっとコツがあるけどね
#ジブリで学ぶ自治体財政

これからの公務員に必要とされる「対話力」と市民の行政運営リテラシー向上のための自己開示。
必要だとわかっていてもなかなか踏み出せない保守的な公務員の背中を押すのは危機感からくる衝動と他人からの評価称賛だと書きました。

とはいえ、すでにそれぞれの衝動に駆られて公務員の立場の鎧を脱ぎ捨て、組織の枠を飛び越えて活動している公務員仲間も数多くいます。
自分の仕事や組織のことを地域住民にわかりやすく説明し、また役所の外にある市民の声を拝聴しながら、対話をベースにしたまちづくりに公私の別なく勤しむ公務員の姿は私が市役所に入った30年前とは比較にならないくらい増えていますし、そうした公務員が全国各地で活躍する姿はインターネットの隆盛で可視化され、互いにその姿に勇気づけられ、力をもらい、励まし合い支え合う関係性となっています。

また、ネットやリアルな場でその活動や人物に触れ、その活動をフォローする中で躊躇していた一歩を踏み出すことができた中堅公務員、いつか自分も殻を破れるようになろうとひそかに大志を抱く若手公務員も数多く、役所の外からこれらの活動を眺め、従来のお役所のイメージではない、新しい公務員の姿を感じている市民も多数おられます。
メディアで報じられる役所や公務員のイメージはいまだに旧態依然としたステレオタイプでなかなか変化しませんが、実態としての公務員の生態はかなり変わってきており、そのことを好意的に受け止め、あるいは待望する外部環境も確実に醸成されてきているというのが私の実感です。
私が叱咤激励するまでもなく、公務員は確実に変わり始めているのです。

しかしながら周りを見渡すと、対話する公務員、行政運営リテラシー向上のために自己開示できる自治体職員が大多数を占めるのはまだ先の話。
「三つ子の魂百まで」というように、生来の性分というのはそう変わるものではありませんから、今いる保守的な公務員がそっくり入れ替わる30~40年後、早くても半分入れ替わる15~20年後まで待つ必要があるのでしょうか。
この変化の到来について、私は保守的な公務員の特性で着目していることがあります。
それは「周りがやっていることはやる」「決まったことはやり続ける」という特性です。

保守的な公務員は横並びが大好きです。
施策や事業を考える上でも常に「他都市の実施状況」をメルクマールに議論したがります。
これは、うまくいかないというリスクを回避するとともに、なぜやるのか(やらないのか)を説明する手間を省きたいという思考パターンで、現状からの変革を求める場合には障壁となる性質ですが、逆に周りがやりだすと「なぜ自分だけやらないのか」という理屈が立ちにくくなり、周りに合わせるためにある意味盲従的になってでも自己変革に乗り出すという面白い性質でもあります。
決まったことをやり続けるというのもまたしかり。
決まったことをやっていれば批判されることはないし、やらないことでの悪目立ちすることは避けたいもの。

「対話」や「自己開示」といっためんどくさいことでもみんながやっていればやるようになるし、それが社会のルールとして定着すれば当たり前のように標準装備できるようになる。
それが真面目で責任感の強い、保守的な公務員の未来の姿になっていくのでないか。
そのためには、変革の必要性を感じた公務員がそれぞれ自分の感じる危機感や変革意欲に応じて自分の殻を破ること。
あわせて、周囲がその行動に賛同できるのであれば同じ行動をとることができなくても歓迎賛同の意を陰ながらでも示し伝えること。
その積み重ねで少しずつ実際に公務員の職場風土や仕事のやり方、市民との関係性が変わり、世間が公務員に対して持つイメージが変化していくその先には、「周りがやっているから」と将棋倒しのように雪崩を打って「対話」や「自己開示」を始め、それが組織文化として定着する世の中がくるのではないか。
楽観的な私はそんな風にも思うのです。

ただ一つ気をつけたいのは、「周りがやっているから」という理由の消極性。
「対話」は単なる雑談ではなく、また今まで物事を決める時に通常行う議論とも異なります。
対話は、先入観を持たず否定も断定もしないで相手の思いを「聴く」ことと、自分自身の立場の鎧を脱ぎ、心を開いて自分の思いを「語る」ことで構成されています。
「対話」は、互いの人格に優劣がないものと認めあい、その意見、主張にも優劣がないという前提で先入観を持たずに拝聴しあうという人間尊重の思想をベースにした、人として当然に行うべき倫理的なふるまいです。
その根本理念をおろそかにして形だけ模倣してしまえば、そこで行われる「対話」なるものの価値は失われてしまいます。
「対話」という言葉が持てはやされはじめ、その魅力に多くの人が気づき始めた今こそ、その意義についてしっかりと掘り下げ、その価値を損なわないように大切にしながら丁寧に広めていくことが必要だと思っています。
とはいえ、こういう話をするとつい難しく考えてしまいがちですが、実は昔、こんな過去記事を書いていますので最後にご紹介しておきますね。

結局のところ、効能やそもそものあるべき論をぶつまでもなく、理屈抜き、能書きなしで「対話」が楽しい、「対話」の場の居心地がいいという経験をどれだけ共有できるか、「対話」に参加した人の快楽のツボを押すことができるか、にかかっているのではないでしょうか。
そのためにもまずは自分自身が「対話」の楽しさに触れ、その居心地の良さに魅了され、この快楽を誰かに伝えたい、と思うことが第一。
そうやって自分の快楽のツボを押して感じる「楽しい」という気持ちが高まれば、少々面倒くさい「対話」の場づくりを続けていく自分自身のモチベーションになりますし、さらには「楽しいことを誰かに伝えたい」という気持ちが強くなればそれは必ず誰かの快楽のツボを押し、自然と伝播していきますよ、きっと。
何も小難しく考えることはありません。
「対話」ってそんなものだと私は思っています(笑)

★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
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