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縄を張る人たちへ

どうしてうちの課の予算が削られないといけないんだい?
毎年カット続きで見直すところなんてどこにもありゃしない。
うち以外にも削るところはいっぱいあるだろ。よそにしな、よそに!
#ジブリで学ぶ自治体財政

前回の「こんな予算要求はいやだ」はかなり好評だったようで続編をぜひ、と言うお声もいただいているのですが、ここでこのネタを書く趣旨は、私が財政課で予算要求を受ける立場で経験したことを教訓として、今まさにこれから財政課に予算要求する準備をしている皆さんによりよい予算要求をしてほしいからであって、面白半分に一生懸命予算要求をしている現場の方々をディスるのには抵抗がありますので、ネタはあってもなかなか文章になりません。

あえて「残念な予算要求」として今日ご紹介したいのは「自分たちでは判断できないので財政課で査定してほしい」というヤツです。
既存事業を何か見直さないとシーリング(要求上限額)に収まらないときにそのまま上限額をオーバーしたまま予算要求し「あとは財政課で査定しろ」というのは本当に困ります。
そりゃ、財政課で受け取った後にそれぞれの事業内容や金額内訳を精査し、ゴリゴリ査定することは可能ですが、そもそも自分たちの所管している施策を遂行する上で、どの事業、どの経費が優先するのかの判断が自分たちでできないっていうのがよくわからない。
「あれもこれも大事」「どれも見直せないから全部要る」というのは簡単ですが、配分できる財源が限られているので現場の判断でより優先順位の高いものを選んでくださいと判断の権限を委ねているにも関わらずその権限を行使しないのは、結局のところ責任を取りたくないからというケースが結構多いのです。
そうして財政課の査定を甘受し、市民や議会に対しても「財政課に切られました」「財政課の判断です」と責任を転嫁し、「俺は最後まで財政課と戦った」と部下職員の信望厚い親分肌の上司として君臨する。
そんな幹部職員、皆さんの周りにいませんか?

自治体の財布は一つですから、誰かがたくさん予算を確保すればその分誰かが割を食う仕組みになっています。
その全体調整を行うのが財政課なのですが、財政課が一から十まで、すべての施策事業の必要性と優先順位、その経費内訳の妥当性を検証し判断することができると思いますか?すべきと思いますか?
私は財政課の係長を5年、課長を4年やりましたが、結論から言うとそれは不可能だしすべきではないと思っています。
福岡市は一般会計の事業数が3000以上ありますのでその全部を把握し、順位付けをすることは人間の能力として到底不可能ですが、これは事業数の問題ではありません。
ある施策の推進にあたり複数の事業を行っている場合に、どの事業が一番ニーズや効果の観点から優先順位が高いか、どの事業、経費であれば見直すことができるかというのは、事業を執行している現場が一番よく知っているはずです。
少なくともその現場から遠く離れた部屋の中にいて、何人もの人を介して伝言ゲームでその状況をヒアリングする財政課の職員よりは。
それがわかっていながら、事業縮小、見直しの判断についての批判を回避するために、見直すことができないと思考停止して財政課に下駄を預けるなんて、厳しい財政状況に対して、若い担当者ならいざ知らず、私より年長で職位が上の幹部職員であるにもかかわらずそんな風にしか向き合えない人が私は嫌いでした。

役人は、自分たちが使える予算が減るということをマイナスにとらえがちです。
それは、予算の額が自分たちの権限、影響を及ぼすことができる範囲、つまり「縄張り」を表し、その大きさが自分の仕事の評価を表すと考えているからです。
確かに「縄張り」が広ければ、自分の担当する領域で困っている市民がいたときに助けることができるということもあるでしょう。
しかし、財布は一つですから、自分の「縄張り」が広がればその分どこか別の領域で困っている市民を救えないことがあるかもしれないという想像力が欲しいのです。
自分の課の予算ばかり絞られて、別の部署には潤沢に予算がある、どうして与えられた「縄張り」が平等でないのかと憤ることもあるでしょう。
しかし、それは与えられた「縄張り」が対象とする施策事業の領域が、自治体にとって重要で多くの市民から求められている分野かどうかで差がついているのであって、各所属の「縄張り」は均等、均質ではないと理解すべきです。
「縄張り」にこだわることは結局のところ自己保身でしかなく、市民全体の利益を考え全体最適を志向する市民全体の奉仕者の望ましい姿とは言い難いと私は考えています。

しかしながら、財政課のほうにも問題は山積しています。
全体最適を考えることができるだけの「全体像」をきちんと現場に示しているのか。
それぞれの「縄張り」よりも大事な「全体として目指すもの」を現場まで共有できているか。
厳しい財政状況の中で、全体として守るべきもの、全体として目指すべきもののために、それぞれの「縄張り」を縮小していかざるを得ないことを現場が理解できているか。
そして、その「縄張りの縮小」こそがシーリング(要求上限額)であり、その中での優先順位付けを現場にゆだねるのは、施策間の財源配分を調整するのが財政課、施策内での事業の優先順位付けを行うのが現場、という役割分担であるということを現場が納得して予算編成に望めているか。
現場がこれだけのことを理解できる環境を作らず、現場の状況も十分に把握せずにただ機械的に一律カットのシーリングを投げつけているのであれば「だったらお前がやってみろ」としっぺ返しを食らうことも財政課として想定しておかなければならないと思います。

厳しい財政状況を職員一丸、組織力を結集して乗り越えていくには、互いに責任を回避し他人になすりつけるのではなく、全体最適が達成された姿を共有したうえで互いの持ち場でそれぞれが役割を果たすこと。
それが私の取り組んだ「組織の自律経営」だったのですが、長くなりましたので
詳しくは別稿にて。
拙著「自治体の“台所”事情 “財政が厳しい”ってどういうこと?」もご参照ください(^_-)-☆

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2008年12月に本を出版しました。ご興味のある方はどうぞ。

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