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わかっていないのは誰か

ただ余っていた金を貯めていたわけじゃないんだぞ
市の将来や緊急時のことを考えて節約してきたのに
どうしてわかってくれないんだ!ちくしょう!
#ジブリで学ぶ自治体財政

愛知県の岡崎市で,全市民に一人当たり5万円の現金給付を公約に掲げ,新人候補が現職市長を破り当選したというニュースが世間を騒がせています。
新市長はこの公約の実現に必要な財源約200億円を捻出するために,市の貯金にあたる財政調整基金約81億円の全額取り崩しに加え,公共施設の保全や都市整備等の財源として積み立てていた5つの基金を廃止し,その残高約100億円についても市民への現金給付の財源に充てる補正予算と基金条例の廃止を議会に議案提出しました。
トンデモナイ公約だ,これは買収に当たり選挙違反ではないか,岡崎市民は現金欲しさに血迷ったのかなど様々な批判が飛び交っています。

私も,この公約の妥当性については疑問を感じ,以前投稿した「借金をしていいのはどんな時」でも,原則として年度の収入で賄えないほどの臨時的なものを除いて、現在の自分たちが収める税金の範囲でしか行政サービスを受けられない、「会計年度独立の原則」の説明としてご紹介しました。
目的をもって積み立てられた基金が目的を果たさぬまま廃止されること,そして災害等の突発的な事案に対応するための調整財源として機能すべき財政調整基金が全額取り崩されることについては,財政のプロとして大変疑義を感じるところで,同様の意見がネット上でもあちこちで見られます。
この公約を批判することは簡単ですが,今日は逆の視点で見てみます。
どうしてこんな公約を掲げた市長が当選してしまったのでしょうか。

考えられるのは落選された現職市長に対する不信と不満,変化への期待です。
いくらコロナで生活に窮しているからといって,人口40万人の都市で現職7万票のところ,この候補者に10万票も入っているわけですから,5万円欲しさにそれだけの人が流れるはずがありません。
岡崎市の政治状況は存じ上げませんが,現職が対立候補に敗れるときは対立候補の魅力というよりは現状を変えたい,このままではいけないという変化への期待が背景にある場合が多いので,そういった感情が一気に対立候補に流れたとみるべきでしょう。
もちろん,その背中を押したのが現金5万円給付の公約だったのかもしれませんが,新市長当選の理由は5万円だけではないと見たほうがよさそうです。

むしろ,この現職批判の背景に,現在の市役所と市民との距離があったのではないかとみることもできます。
市民が今,何を求めているかということについて現在の市役所が十分にくみ取り切れておらず,市民の市長不信につながったのではないかということです。
全ての市民に一律で現金を給付するというトンデモナイ公約に200億円も使うくらいならもっと別の施策事業があったはずで,200億円あれば,例えば直接雇用による経済対策であれば年収500万円の仕事を4千人分用意できます。
このアイデアが件の公約より良いものかどうかは別にして,コロナで疲弊した経済を立て直すということでの財政出動について,よりましな施策を市民の窮状に寄り添ってタイムリーに提案できていれば,こういう流れにはならなかったのではないか,と考えることもできるわけです。

これは市長選の際に市職員は現職市長を後押しせよという意味ではありません。
行政運営は市長一人でやっているのではなく市役所職員全員がそれぞれ自分の持ち場で市政に携わっています。
私も現職市長の落選を経験したことがありますが,現職市長への不信任というだけでなく,その時点までの市役所の在り方,市民の声を聴きその思いを実現する行政運営の姿勢について不信任を突き付けられたと感じたことを今でも鮮明に覚えています。
岡崎での今回の選挙結果についても,5万円配るという甘言に乗せられて安易に鞍替えするほど軽率ではないはずの市民がこのような投票行動をとったのは,もともと市民と行政との間に距離ができ,市役所への信頼感が薄れていたからではないか,とも考えられます。

私が気になるのは,今回基金取り崩しを行うことへの市民の反応です。
年間の市税収入が700億円の地方自治体で,200億円もの基金残高があるということに私は驚いたのですが,これだけの基金があることについて市民はどのように受け止めているのでしょうか。
基金を取り崩すのはけしからんという市民の声が高まっているという報道をあまり聞かないのですが,基金を崩すのはもったいないと言っているのは外野とマスコミ,その基金の設置目的に関連する一部の市民,事業者だけで,多くの市民は「市役所が市の儲けをこっそりため込んできた」などと考えているのではないか,ひょっとすると根深い市役所への不信があってそう誤解させているのではないか,とも感じます。
一般論ですが,役所が長年内向きの論理で役所天国を謳歌し,それが原因で行政への批判不満がたまってアンチ行政の首長が選挙で当選し,既存の役所組織に解体的な出直しを求めるというのは他の自治体でもある話です。
岡崎の事情を知らないので邪推に過ぎませんが,そういう役所批判がたまっていたのだとするとこの問題は根深く,5万円配って終わる話ではありません。
もしそうならば,岡崎市民が今回とった行動は必ずしも批判されるものではなく,市役所として今後時間と労力をかけて,崩れてしまった市民との信頼関係を取り戻していくことになります。
もちろん実情がわからない中での推測ですが,一概に今回の投票結果だけをみて外野から「おかしい」と言うのは岡崎の皆さんに失礼なのではとも思うわけです。

しかしそうはいってもこの公約はあんまりです。
こんな公約できっこない,あるいはこんな施策をするくらいならもっと別なこと,効果のあることをしてほしいと市民が思わなかった理由,投票をためらわなかった理由はなんでしょう。
それが今日言いたかった最大の理由「行政運営に関する基礎的な理解不足」です。
地方自治体の財政構造や財政状況,年度の中での収支均衡の意味,基金や借金の役割と効果などへの財政に関する基礎的な理解,そして政策目的を達成するための効果的なお金の使い方についてのある程度の想像力があればこのような政策が提起された時点で「そんなバカな」と議論が巻き起こるはずでした。
しかし,年間の市税収入が700億円の自治体で200億円の基金を崩して市民一人当たり5万円を配ることがどれだけ壮大で馬鹿げているかという議論は選挙時点ではあまり起こりませんでした。
これは岡崎市の市民を責めるべきではありません。
何がどう馬鹿げているのか,よりましな施策としてどんな方法があるのか,行政のことに疎い市民は即座には考えられない,判断できないということなのです。

これは日本全国どこででも起こりうる話です。
多くの市民は,行政の実情を知りません。
しかし,行政の実情を知らない,理解していない市民に対して「そんなバカな」と嘆き,批判の目を向けるのではなく,行政運営への無理解を放置することが市民と行政の間に溝を作り,いたずらな誤解を生み,課題解決を複雑にさせていること,いざというときに市民にきちんと判断してもらえる素地を作ることができていないことが今回の事案のような大きなリスクとなりうることを,我々行政に携わる者は自戒し,反省し,今回岡崎で起きたことを反面教師にしなければいけません。
そんなことを考えながら,これからも駄文を連ねていこうと思った次第です。

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