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快楽のツボを知れ

ちょっとここんとこ気合入れすぎましたね。
前回の「手段としての対話」とか,今読み返してみると少し硬すぎるかな(笑)
つい熱くなってしまいました,反省<m(__)m>
というわけで,今日は軽めに。

対話の効能やその場づくりの秘訣,果てはその「手段としての対話」の限界まで,「対話」のあり方について語りに語り尽くしてきましたが,ここまで読んでみて「結局どうしたらいいの」とモヤモヤを抱えてしまった皆さんに捧げたいのは今日のタイトル「快楽のツボを知れ」という言葉です。

皆さんはどうして「対話」にこだわっているのでしょうか。
どうして「対話」という少し面倒で手のかかる方法をとりたいのでしょうか。
「対話」という手法が何かを解決してくれるから?
確かに「対話」によって何か今までと違うアプローチになることもありますが,手間もかかるし「対話」だけが成果を出す唯一無二の手法ではありません。
かといって,前回お示ししたような人類普遍の真理について普及伝道するなどという高邁な動機も持てないと思います。

これは私の勝手な推測ですが,今,「対話」に関する私の記事に興味を持ってくれている人は,きっと私が出前講座やオフサイトミーティングでの私自身の「対話」について「なんか楽しそう」と思い,その楽しさを自分でも味わってみたい,ほかの人にも味わってほしい,そう思っているのではないでしょうか。

「対話」は心地よいものです。
「対話」の場ではすべての存在が許容されます。
誰がそこにいても構いません。
誰もが互いの偏見や先入観から解放された自由で気軽な場所。
どのような立場であってもどのような意見を持っていても特別扱いされません。
話したくなければ話さなくていいし,そこにいるだけでもいい。
自分がその場にいることがその場にいる誰からも許されている状態。
この心理的安全性こそが対話の場の居心地の良さのすべてです。
私はこの居心地の良さこそが「対話」の本質,最大の魅力だと思っています。
私はこの魅力に取り憑かれて「対話」を続けていますし,その楽しさを皆さんにも味わってほしくてその効能や秘訣を皆さんにご披露しているのです。

ただし,その居心地の良さを作るのはその場のオーナーではなくその場に居る自分自身。
自分が心地よく過ごすためには,そこにいる他者の心地よさを作ってあげなければいけません。
そのためには,単に自分を解放するだけでなく,他者への配慮も必要になりますし,そもそもなぜその場所がそんなに心地よいのかを知り,その心地よさを維持するためにその場に居る自分がどうふるまわなければいけないかを考えられる自分であらねばならない。
さらには,そのことをすべての参加者が理解し,そう行動できなければ期待通りの居心地の良さは実現しないのです。

このように考えを進めていくと「対話」の場の居心地の良さを実現するには,少々手間のかかる面倒な手順や環境づくりが必要になります。
たとえ皆さんが「対話」の場づくりを実践してみたとしても,そこでの居心地の良さについては考えた通りにうまくいくかどうかもわかりません。
そうして正解のない迷い道をくねくね行くうちに壁にぶち当たり,悩み疲れ果てたとき,「対話」ってこんなに面倒なの?結局どうしたらいいの?とモヤモヤしたときには振り返ってほしいのです。
自分は「対話」の何に魅せられているのか,を。

「快楽のツボを知れ」というのは,私がスポーツ振興課の係長だったころ,日常的に体力づくり,健康づくりに取り組む習慣がなかなか身につかない成人勤労者世代にどうやってスポーツの習慣化を図るか,というテーマで自由放談のワークショップをやったときにでたキラーワードです。
何かを継続的に取り組む動機づけは人それぞれですが,その継続は必ず「続けることが気持ちいい」という感覚に支えられていますよね。

スポーツの習慣化も同じで,毎日同じ時間に同じことを習慣化すること自体が気持ちよい人,データを記録していくことが気持ちい人,体重減少や筋力アップ,タイム向上など成果が目に見えるのが気持ちいい人,他人から「いいね!」とほめられることが気持ちいい人,など快楽のツボは様々です。
なので,自分にとって気持ちいいことは何なのかを知れば,個々人がそのツボをうまく押す工夫を仕組みとして取り込むことで面倒なことにも前向きに取り組める,だからスポーツの習慣化は「己の快楽のツボを知れ」ということに尽きる,という意見をいただき,その場がドッと湧いたのを覚えています。

スポーツだけでなく勉強でも趣味でも何でもそうです。
楽しくなければ,快楽のツボを押さなければモチベーションは湧きません。
どんなに健康に良いと言われる体操でも,どんなに頭がよくなるサプリメントでも,頭でわかっているだけでは人は新たに始めてみようとは思いませんし,強制的に始めても嫌々では長く続くはずがありません。
始める,続ける力の源泉は楽しさ,心地よさ,快楽のツボを押すことなのです。

とすれば,どうやって「対話」をはじめるか,どうやってそれを続けるか,広げるかという悩みにも光明が差してきます。
結局のところ,効能やそもそものあるべき論をぶつまでもなく,理屈抜き,能書きなしで「対話」が楽しい,「対話」の場の居心地がいいという経験をどれだけ共有できるか,「対話」に参加した人の快楽のツボを押すことができるか,にかかっているのではないでしょうか。

そのためにもまずは自分自身が「対話」の楽しさに触れ,その居心地の良さに魅了され,この快楽を誰かに伝えたい,と思うことが第一。
そうやって自分の快楽のツボを押して感じる「楽しい」という気持ちが高まれば,少々面倒くさい「対話」の場づくりを続けていく自分自身のモチベーションになりますし,さらには「楽しいことを誰かに伝えたい」という気持ちが強くなればそれは必ず誰かの快楽のツボを押し,自然と伝播していきますよ,きっと。
何も小難しく考えることはありません。
「対話」ってそんなものだと私は思っています(笑)

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