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税金泥棒と言われたら

役所には無駄が多すぎるのよ
税を払えという前に
そういうコストを削るのが先でしょう
なによ 税金泥棒が偉そうに
#ジブリで学ぶ自治体財政

納税は個々の担税力に応じた社会的責任を果たすことで経済弱者の税負担をカバーし社会保障の財源を確保する相互扶助義務の履行。
お互いに困ったときは自分の持っている能力の範囲で助け合う義務を負っており、その義務を履行するためにそれぞれの能力に応じて税を納めている。
財政の根幹をなす税の本質について,昨日の投稿ではこう書きました。

税と社会保障の相関関係の中であれば理解できるはずのこの論法ですが,実際に徴税の現場ではこんな話にならず,自分が税を納めなければならないという法の規定する義務に対して,なぜそれに従わなければならないのかと開き直るツワモノもたくさんおられます。
彼らの一番の論拠となるのは冒頭のセリフの主張です。
さて,この記事をお読みの公務員の皆さん,この主張にどう対処しますか?

確かに役所には無駄なコストが多いという指摘は当たっている部分もあります。
競争にさらされていない,利益を上げることを目的にしていない,業務の成果が給与・賞与に反映されないなどの理由から公務員組織全体にコスト意識が低いところは否めない部分もあり,そこには改善の余地がありそうです。
しかしながら一方で,法令に基づき正確かつ公平に事務を処理するために一定の手間暇をかけることがやむを得ない部分もあり,いったん役所が動けば公定力(誤りが明らかになるまで正しいと推定される力)が働くことからその説明責任を果たすうえで丁寧な手順を踏むことが求められる場合もあることから,あらゆる事務事業に投じられているコストが一概に無駄だとは言い切れないことに留意が必要です。

では「役所には無駄が多い」という主張に対してどう抗弁すればいいのか。
いくら行革でコスト削減,スリム化を進めたとしても,無駄の不存在を合理的に説明することはいわゆる「悪魔の証明」であり,聴く耳を持たない相手には全く歯が立ちません。
この税金泥棒問題は,どれだけコストカットを頑張って,税金を無駄なく有効に使っていると主張したところで解決しないのです。
なぜなら,彼らは行政コストの問題を取り上げてはいますが,その本質は役所への不信,不満。
法令に基づく義務であろうと素直に従う信頼関係が構築されていないため,文句の言いやすいところにイチャモンをつけているのです。

以前,無駄な事業,経費を削ることだけが財政健全化ではない,という記事を書きました。
財政状況が厳しく市民のニーズに応えきれない今こそ,我々自治体職員はもっと「お金でないもの」で市民の満足を実現していくことへの意識を高め,そこに向かって注力していくべきではないか。
市民と接する際の笑顔,市民の声を傾聴する真摯な態度,丁寧に説明を尽くす誠実さ,当然市民が求める仕事の正確さ,公平さ,迅速さ,隠し事をしない公明さ,気軽に相談できる敷居の低さなど,我々自治体職員の日ごろの態度一つで,市民の満足度が上がったり下がったりするということを,これまで以上に意識しておく必要があるのではないか,というのが私の考えです。
「愛が買えるなら」
https://note.com/yumifumi69/n/nc665f7207959

昨日の記事でも書きましたが,税は双務契約に基づくものではないので対価性がなく,払った額に応じてサービスの量や質が決まるものではないため,そこにコスパがいいかどうか,無駄か無駄でないかの議論を持ち込むことそもそもがナンセンス。
納税の納得感は行政組織への信頼感を高めることでしか高まりません。
納税は個々の担税力に応じた相互扶助の責任を果たすという意義がありますが,それを自らの行動で実現するのではなく,いったん国や地方自治体に預け,そこから先の実行を委ねることになっている以上,その権限,責任を託す行政組織への信頼感が必要になるのは当たり前ですし,そのためには行政組織と国民,市民の関係性においてはもちろん,公務員である私たち自身と国民,市民との関係性においても対話による情報共有とそこから導かれる相互理解が求められるのだと思います。

そのような信頼関係を構築するための前提として,行政運営の効率化や省力化,効果の最大化を図ることは当然の責務ですが,そもそも税金泥棒とまで言われるような不信感や不満をなぜ市民から持たれているのか,それは税を払うという局面で初めて出てくる感情ではなく,普段から行政に対する不信や不満を募らせているのではないか,その感情の底流には役所の組織運営や施策事業の遂行のどこかに問題があるのではないか,という視点も必要になります。
納税は国民の義務という言葉をただ振りかざして,公務員の立場から正論で国民,市民を説得するのではなく,納税の意味を国民,市民自身がどう受け止め,どう理解しているか,その事務を司る役所や公務員がどう見られているか,ということについて相手の立場に立って考えてみることも,国民,市民との相互理解を図るうえでなくてはならない「対話」のプロセス。
総選挙を前に数多の政策を公約と掲げながらその財源の国民負担について言及しない各政党も,社会保障費増大に対応する安定財源確保が至上命題でありながら増税を言い出せない霞が関も,そのことを切り出すための国民との対話が十分にできているという自信がないのかもしれませんね。

★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
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