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出版への道 ② 当たり前だからする

以前も少し書いたら重複するかもしれない。

今年の春、本を書いて出版することに決めた。
それは、今年スタートしたサンジェルマン出版の企画に乗ったからだった。
「企画名は未来に財産を残すプロジェクト」
そうか、本は未来の財産なのだ、
と企画のコンセプトにビビビッと共鳴して参加することを決めた。

子供のころから色んなカタチで何かしら書いてきた私には
書くことは嫌いじゃない。というよりも当たり前のことだった。

日記、手紙、メール、チャット、ML、SNS(mixi、Twitter、FB、Instagram等)、ブログ、パンフレット、小冊子、複数のブログ、HP等々、
日々書いてきた。

だから逆に「書くことは好き?」と聞かれたら
大好き!と答えるのも違う気がする。そんなことは越えている。
とにかく当たり前にすることの一つだから。

ただ、なんて素敵なのだろう、という文章を書く人が
周りに何人もいたので
日々書くことが当たり前=文章が旨いわけじゃない、と思っていた。
「私には気の利いた文章は書けないんだ~!」
とコンプレックスがあった時期は、かなり長かった。

それでも、頻度が減ることはあっても書くこと自体はやめなかった。
そして、ブログやSNSの投稿のファンです、と言わることが増えていき
ブログ記事が目にある出版社の目に留まって
「トークショー等のイベントを開催しませんか?」とお誘いが来るなどして
自分の文章なりの味があるのだなと思うようになっていった。

今でも、ああいう風に書けるといいな、
という憧れの文章や文体はやっぱりある。
でもそれは、あっていいのだなと今は思える。

今年本を書くことを決めた時に気が付いたことがあってからは
尚更にそう思うようになった。

その時、そうかそういうことなんだ、とわかったのだ。
それこそ、天啓だったのだろうと思う。

ライフワークや天職は、
好きだからとか、得意だからとか、長年やってきた特技だから、褒められるから、ということが源じゃないということだ。

書けるから作家になる、書くことが好きだから作家になる、
もしくは旨く書けるようになったら作家になる、ということじゃない。
そして、褒められたいからとか、認められたい、
という気持ちが先にくるのも違うんだ。

その逆だった。
自分は作家だから書く、著述家だから書く、ライターだから書く。
それが当たり前だから書く、ということなんだ。

歌手だから歌う、ミュージシャンだから演奏する、画家だから書く、クリエイターだから創る、教師だから教える、ヒーラーだからヒーリングをする、セラピストだからセラピーをする、料理人だから料理を造る等々も、そういうことなんだ、と腑に落ちた。

それが、新たなステージへのゴーサインのスイッチが入った瞬間だった。






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