翼持つ椅子
我が家の片隅に、とても小さな古い木の椅子があります。「若竹幼稚園」という焼き印が押してあります。これは、祖母が近所の幼稚園の建て替えの際にもらい受けてきたものだといいます。引き取られてきたのが、50年近く前。幼稚園で使われていた期間がどれくらいかは分かりませんが、立派にアンティークの域に達しているように思われます。
姉や私が幼かった頃は、座ったりテーブル代わりにしたり、ぬいぐるみや人形を座らせたりして、ずいぶん遊びました。少々乱暴に扱ってもびくともしない、頑丈な椅子なのです。
私たちの前に、何十年も前の幼稚園の大勢の子どもたちのお尻をのせてきた椅子。今では、花の鉢を置いたり、ときには背の低い私が踏み台にしたりしています。
生まれてから今まで、いくつの椅子に座ってきたでしょうか。ベビーチェア、勉強机の椅子、食卓椅子にさまざまな乗り物の椅子。
カフェやレストランの椅子。
居心地のいい椅子、悪い椅子。
美容院で、鏡の前の椅子に座るときの少し気恥ずかしいようなワクワクするような感覚。
最近お気に入りなのは、リニューアルされた秋田駅の待合ラウンジにある、県産木材を用いたぬくもりのあるさまざまなデザインの椅子です。
職場や団体などで「椅子」は立場を暗示することもあり、それを考えると「椅子取りゲーム」というのはなかなかシビアな遊びではないでしょうか。私は、苦手なゲームです。
〈何処より飛来せしもの部屋隅に佇む黄金の翼持つ椅子〉
という短歌を詠んだのは高校時代ですが、念頭にあったのは物心ついたときから親しんできた「若竹幼稚園」の木の椅子でした。記憶にある限り身近に存在するその椅子に、ふと輝く翼があるように感じたのです。椅子だって飛翔したいこともあるだろう、いや、飛翔していることがきっとあるだろう、と空想しました。
いま、座ってこの原稿を書いている椅子も、おそらく見えない翼を持っています。その翼が私の心に風を送って、こんな文章を書かせました。
※2019年4月18日(木)河北新報「微風旋風」欄掲載
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