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エッセイ+短歌「北の薔薇」

何処より飛来せしもの部屋隅に佇む黄金きんの翼持つ椅子

これは白泉社の雑誌『MOE』1993年12月号の文藝コーナーに掲載された17才のわたしの作品です。初投稿・初掲載だったと思います。
そのときの選者、小林恭二さんのコメントは次のようなものでした。
「どこがどうというわけではありませんが、北のロマンを感じさせます。わたしは常々思うのですが、北の方で生まれた詩はロマンティックな風合いを持つことが多いようです。冨樫さん、あなたの送ってくれた短歌はみなロマンティックで、わたしはまるでアイルランドの詩を読んでいるような気にさせられました。(後略)」
 わたしは当時も今も秋田県に住んでおりますので、「北のロマン」という言葉を使われたのだと思います。

北であり辺境であるみちのくに憧るる眼差しもあること

 舞い上がるほど嬉しいコメントでしたのでアイルランドに何とはなしに親しみを感じはじめ、学生の頃にはちょうど流行していたエンヤの音楽にはまったりもしましたし、二十代のころ

薬缶から湯たんぽに湯を注ぎつつアイルランドの民謡を聴く

 という短歌を作ったこともあります。アイルランドの首都ダブリン出身の作家オスカー・ワイルドの「幸福の王子」も大好きな作品です。
ただ、気が付いてみたらきちんと「アイルランドの詩」というものを読んだことがなかったことに気づき、この秋、岩波文庫の『対訳 イェイツ詩集』(高松雄一編)をひもときました。

ケルトにはケルトのことばイェイツの英語の向かうがはに響けり

 変貌を遂げつづけたるIrish Poet ひとり 端正なかほ

彼は作風の変遷が激しい詩人でしたが、わたしが読んだどの詩も、けっして明るいとはいえず、むしろ沈鬱で重苦しいものだったことに戸惑いました。ロマンティックというと華やかなイメージがありますが、冒頭のわたしの若書きの短歌も考えてみれば明るいものではなく、陰りを感じさせるものだなあと思います。「北のロマン」の本質とはそうしたものなのでしょうか。

 イェイツの詩のなかで最も心に残ったのは、
[To The Rose upon the Rood of Time](時の十字架にかけられた薔薇に)です。

Red Rose, proud Rose, sad Rose of all my days! 
(わが生を司る赤い薔薇、誇り高い薔薇、悲しい薔薇よ!)

という一節が出だしと終わりに繰り返され、その中間ではアイルランドの美しい習俗や神話が謳われています。
わたしは薔薇が大好きで、『バライロノ日々』という短歌とエッセイの本を出したことがあるくらいなので、やはりアイルランドの詩人とは縁があったのだと勝手に得心したことでした。

北に棲むわたしの薔薇は北の薔薇 冬もこころのなかに咲かせる

「楽詩」12号(2018年冬号)より、「かなりあ通信」⑤

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