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小さな箱から脱出する

社会福祉士の試験を受けるにあたり受講した養成課程に、児童養護施設での現場実習がありました。3歳から18歳までの子が入所する施設ですが、4歳以上は日中、幼稚園や学校に行っているので、3歳児と過ごす時間が多くありました。子どもの世話が得意でも好きでもないわたしは、客観的に子どもたちの様子を見て分析して過ごしていました。(実際は世話もするし、もちろん決められた業務は遂行しています)

たった1ヶ月間ではありますが、子どもたちを見ていると、「拗ねてじっとしている子」に気を取られることが多かったように感じます。それはおそらく、わたし自身の課題と重なっていたからだと思います。


この数年「自分の小さな箱から脱出したい」と思っていました。きっかけは、「そろそろ箱から出ておいでよ」とビジネスパートナーに言われたことでした。そのときはなんのことか分からず、「箱ってなんだ??」となり、それに関係しそうな緑色のベストセラー本も買って(途中まで)読んだりもしました。しかしその時はなかなかピンとこず、箱問題は保留のままになっていました。

そこに現れたのが、実習先の子どもたちです。彼らは、子ども同士で喧嘩したり、自分のリクエストが通らなかったりすると、拗ねてその場から動かなくなるのです。これまでも我が子がそのような態度でいたことはたびたびありましたが、そのときにはまったく気づきませんでした。箱問題が保留になっていたからこそ、「あーこんな感じなのか」となったように思います。拗ねてないでさっさと気持ちを切り替えて、目の前にいる友達と遊べばいいのに、その選択はせず、ただひとりそこでじっとしていることを選択する。そして、周りの大人が手を差し伸べてくれるのをじっと待っている。この状態がまさに、「箱の中にいる」ことなのかもしれないとその時思ったのです。施設の子どもだからというのはおそらく全く関係なく、たまたまそれが実習中だっただけの話です。



箱の中にいる状態に気づいたところで、すっと箱から脱出できるわけではありませんでした。脱出したいと思ってるし、そうしたら素敵な世界が待っていることもすでに想像できています。しかし、箱の中にいるメリットも捨て切れません。(メリットについてはまた別の機会にまとめたいとおもいます)箱から脱出するという「決断」には、やはり勇気が必要です。エイっと「決めて断つ」勇気です。自分を信頼できている状態であれば、きっと勇気は持てるでしょう。しかし、自信を積み上げてこなかったから箱の中にいるわたしなので、勇気が湧いてもすぐにしぼんでしまい、箱から脱出するまでには至りません。

そんな折、「たまごの殻に少しずつヒビが入って、しまいには割れるから」とわたしに言う人がいました。出たいと願い、そこから出る自分を少しずつでも信じていけば、自然と殻が割れるんじゃないかということです。

わたしはハッとしました。箱から脱出するには、「脱出する」という能動的な行動が必要で、自分の手足をなにかしら動かすイメージです。一方、たまごの殻が割れる喩えは、その場に動かずにいても、「気づいたら外にいた」というイメージに繋がったのです。それこそ、この表現で大きな勇気を持てたように思います。


自分の周りを覆っているたまごの殻に少しずつヒビが入って、最終的に割れる。そしてそこには素直な自分がいる。いまはただそんなイメージでわたしは日々過ごしています。


最後まで読んでくださりありがとうございました。

松本由美

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