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私からの「ラブレター」

生きている間に、どれだけの「ありがとう」を伝えられるだろう


私たちは、

「言わなくても分かるでしょ。」

そう思いがちだ。

それは、日本人の「空気を読む」という性質から来ているのだろう。

空気を読むことで、
場の雰囲気を乱さないこと、
思いやりの気持ちで接するなど、

素晴らしい点もある。

だけど、

「空気を読む」が空気の様に当たり前になってしまっているから、

「人に自分の気持ちを伝えなくてもわかってくれるだろう。」

そう思ってしまうことも大いにある。


もちろん、
口に出さなくても理解してくれる人もいるだろう。


だけど、
やっぱり伝えなきゃ分からないこと、伝わらないことっていっぱいある。


たった一言

「ありがとう。」

そう伝えるだけで、
関係性が全然変わっていくこともある。


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そして、
人はやってしまったことよりも、
やらなかったことに対する後悔の方が大きい。

もし、「ありがとう」のその一言が言えず、
一生その人に会えなくなってしまうとしたら、
私はとても後悔する。

だから私は伝えることにした

「ありがとう。」

って。


いつぶりだろうか、
こうして手紙を書くのは。

便箋に書いて、のりをして、
切手を貼って送るなんてことは
もう何年もしていない。

なんで手紙にしたのかと言うと、
自分のコトバを形にして(文字にして)
ちゃんと伝えたかったから。

LINEや電話で伝えることもできる。
それは毎日の様にやっているし、
自分で書いて文字にしているからこそ
伝わるものがあるって思うから、

あえて、「手紙」というものを使って
気持ちを伝えたかったのだ。

改めて手紙を出す気恥ずかしさもありながら、
(えいっ)と心の中で勇気を出して手紙を取りだし、
自分の気持ちを書き出した。

書きながら思い出されるのは
中学時代の日々。

学校に行けなくなって、
どう生きればいいか分からなくて、
生きる希望さえ見失っていたあの日のこと。

あの日、
冗談でも「死ね」と言われたら
死んでやろうと思っていた、その瞬間のこと。

その日、
その言葉を聞くことはなく、
今こうして私は生きているし、
こうして「生きる」ことを選んで今は本当によかったと思う。

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あの時は、
自分のことで精一杯で
両親や周りの人の気持ちまで考える余裕なんかなかった。

だから、
私なんていなくなればいいんだって
本気で思っていたけれど、

今なら分かる、
あの時、私が生きることをやめていたとしたら、
どれだけの痛みと悲しみを両親や周りの人に負わせていたか。

書きながら溢れてくる涙が止まらなくて、
テイッシュを何枚も使って、涙を手紙にこぼさないように書いた。

あの時は、
すごく辛かったけれど、
私は「不登校」という経験で得たものがものすごくたくさんある。

あの経験がなければ、
間違いなく今の私はいない。

そして、
私は今の自分をけっこう気に入っている。

そんな風に思える様になるまで、
身近で支えてくれたのは間違いなく父と母だ。

あの頃は、愛されているなんて信じられなかったけれど、
どれだけ私のことを思い、考えてくれていたのか、
これも今なら分かる。

だから、
あの時の自分からも込めて、
手紙にありったけの感謝の気持ちをつめた。


ある意味この手紙は私から両親への「ラブレター」だ。


私からの「ラブレター」


私は父と母が30代後半の時に生まれた子ども。
両親は今はもう60歳も過ぎている。

あとどれだけ両親が生きていてくれるかは分からない。

どれだけの「ありがとう」を私はこの先も伝えられるだろうか。

後悔しないように、

何度でも、

口でも文字でも伝える。


「ありがとう」

そして

「大好きだよ」




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