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その8 黒い塊

 陀羅尼呪【構成1】①から⑥の行程(所行奉修)を実践していると感じたのは、その真っただ中にいる時だった。
‘’奇異‘’という言葉に、この‘’自己矛盾の一種‘’がぴったり当てはまった気がした。そして好‘’奇‘’心のままに心の内に入っていくと、そこにあったのは何の手入れもしていない荒れ果てた庭だったのだ。

 その庭に手を入れ始め少し様になってきたと思った頃、別の違和感に気付き始める。
それはこんな出来事からだった__。

 学生生活がうまくいっていなかった子供のことで、親からある寺に相談に行ってはどうかと言われた。その寺にはそれまでも何か困難なことがあるとよく相談に乗ってもらっていたし、その都度それで何とか大変な時を過ごすことができたと思う。その頃は本当に有難い存在だった。
けれどその当時からあった微かな違和感が、この頃無視できない大きさになっていた。 

(何かに頼り、 言われたことをする……?)

幾つもの所行奉修のなかで、私は‘’何かに頼る‘’ということが受け入れられなくなっていた。生活の中で分担したり、出来ないことをお互いにカバーしあうことは出来る。けれど、‘’心の困難を別の行為にすり替えてただそれが過ぎ去ったり変化していくのを待つ‘’という姿勢に自分を置けなかったのだ。

違和感の大きさがそのまま丸くて黒い塊になり、自分の胸部に存在しているように感じた。違和感を無視して行動しようとすると、その塊が胸の奥を圧迫してくる。心拍数が上がり、動悸を感じる。パニック障害の発作とはまた違う気がした。

(なんやねんコレ。)

 それから私は私の言うことを聞けなくなった。
内心必要性を感じていなくても、折角心配して色々考えてくれたんだからとそれに沿う行動をしようとすると、あの黒い塊が現れる。
本心では全く違うことを思っていても、この状況ではこう言動するのが当たり前だからとそれに沿って動こうとすると、また現れて暴れだす。
そしてどんな時も、心の通りに動くと塊は跡形もなく消えていったのだ。

その結果、それまでは親にとって結構従順で穏やかだった(と思う)私は人が変わったように行動するようになった。頼まれても納得できないことはしない(できない)。親の価値観が自分や子供たちにとって重く苦しいときには、会うことすらも拒否した(するしかなかった)。

(これって、本当の自分……? じゃあそれ以外のこの‘’思いやり‘’の形をしたものや、和を形成するためにと思って選んできた行動は一体何だった?)

その正体にはっきりと気付いたのは、心の庭がより一層整ってきてからだった。