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「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んだ女性医師が、わたしたちの不平等と人生の最適化を考えた

「82年生まれ、キム・ジヨン」は
2016年に韓国で刊行され社会現象をまき起こした小説。

中堅企業に勤める夫と子供と共に
韓国・ソウルに住む主人公キム・ジヨンが、
ある日を境に自分の母親や友人の人格が憑依したように
振る舞い始める。
受診した病院の精神科医のカルテの形で、
彼女が経験した様々な理不尽や不平等、
女性であるがゆえの困難が描かれている。

日本でも2018年12月に刊行され、
2019年1月から6か月連続で
海外文学部門の売上第1位を獲得した、
いわずと知れた超話題の書であります。


大変遅ればせながら、
私はこの本を育休明けの2021年に読み、
胸を締め付けられる思いでした。
多かれ少なかれ、おそらくすべての女性に身に覚えのある経験があり、
もしかしたら女性に限らず
似たようなざわつきを覚えた経験があるのではないでしょうか。

数年前の超有名小説なので、レビューや関連した考察が
ネット上にあふれています。
ですから私は自分の立場と経験から思ったことを
いくつかお伝えしたいなと思います。

医学部入試と男女

ちょうどこの小説が日本で話題になったころ、
日本では私立大学医学部の入学考査における男女差が
ニュースになりました。

ある大学で、
入試の女子受験者の得点を一律に減点し、合格者を制限していた。
しかもかなりの数の大学の医学部で(私立だけでなく国公立でも)
似たような工作が行われているようだ。

という報道のされ方をしていました。

「そんなの知ってるよ」

私はキム・ジヨンさんの数年後の生まれで、
10うん年前に医学部を受験した経験があります。
そのような立場で当時このニュースを見た時の感想は、
「いまさら何を言っているのか。そんなのみんな知ってるよ」
でした。
「女性が医学部を目指すのに、何倍か頑張らなくてはいけない」
「点数を何十点か高くとる必要がある」
この報道をなんら衝撃もなく
(誤解を恐れずに言うならば)当然のこととして飲みこみました。

わたしの医学部受験期

そもそも私が受験した当時も、
「入学する女性を少なくするために数学の配点を高くした」だの、
「理系の問題を難しくしている」だのと言われており、
「公然の秘密」ですらなく「公然の事実」のように
「医学部に女性が増えすぎないほうがいい」という感覚が
広く、深く、根強く染みついていました。

就職をするときの面接でも、一言釘をさされました。
「なるほど、既婚者ですね。
妊娠の希望があるなら、キャリアをよく考えて。
専門医を取得する前に子供を産むとキャリアに障るかもしれません」

この本に登場するUnconscious bias

この本にも大小さまざまなunconcious biasが登場します。
(もはやbiasと呼べない犯罪レベルの出来事もいくつか)
Unconscious biasとは無意識の偏ったものの見方のこと。
本の中の出来事は比較的過激なので、
ギリギリbiasと呼べそうな出来事だけ
いくつか気になったものを紹介します。


・嫁は秋夕に旦那の実家に集まって、手料理をふるまう
・子供のころ、弟の残した食べ物に手を付けてはいけなかった
・母の仕事は「やりたいこと」ではなく、「家族を邪魔しない事」「男の子を立派に育てること」が条件
・同期入社でも、能力ではなく性差でまわってくる仕事の種類が違う
・育児のために仕事をあきらめるのは、当然妻

動かしがたいちがい

けれども、残念ながらいくつかの事実もあります。
出産には適齢期があるし、
その年齢はだいたいキャリアの構築に重要(だと思われている)時期に相当します。
まともに産休育休を取得すると一年は妊娠出産だけで経過します。
そして、当然ながら生んで終わりではないので、
子供を抱えた状態での人生の歩み方をもう一度築き直す必要があります。
過激な言い方をすれば、
女性に子宮がある限り、男女は完全に平等ではありえません。

そして時間制限のある女性の勤務を支えているのは
未婚の女性と男性陣です。
時間と体力、能力、気力。すべてを削られています。
根底にあるのは根本的な人員不足や「働き方改革」の必要性です。

標準化社会では不平等感は解消しない

平等ではないからこそ、
敷かれたレールではなく自分だけのモチベーションを追い求める道を
模索することが必要かもしれません。
たぶん標準化のレールを敷く人たちの頭の中に、
いろんな女性像や母親像は想像できていない。
いわゆる敷かれたレールの上に乗っているだけで
このたくさんの女性のもやもやを解決できる道があるとは
どうしても思えないのです。

キム・ジヨンの姉のセリフにはっとさせられます。
休暇や収入、就職が安定していていわゆる「つぶしが効く」という意味で、
母親から教師の道を勧められたことに対するセリフです。
(教師の方々ごめんなさい、小説の中のお話です)

「私が結婚するかどうか、子供を産むかどうかだってまだわかんないじゃない。ううん、その前に死ぬかもしれないのに。どうして、起きるかどうかもわからない未来の出来事に備えて、今やりたいこともやらずに生きなきゃいけないの?」

女性の研修医や医学生のなかには、
「結婚した時に働きやすい」科を選ぶ人がかなりの人数います。
もちろんそれは自由ですが、
本当にやりたいことを選ぶことの優先度が図らずも下がってしまうことは
結局は幸せ度を上げないな、と思います。

自分のモチベーションに耳を傾け、
一般的なキャリアにとらわれずに道を構築していくこと。
「女性だから」とか「ママなのに」ではなく、
ひとりひとりのストーリーを最高にするために
キャリア・人生を作っていくことが
不平等感を解消することにつながると思っています。

最近読んだビジネス書の受け売りでもあります。
よかったら参考に読んでみてください。

女性であること、の制限が最小になるシステム

そしてそのキャリアを実現するにあたって、
女性であることの制限が最小になるためのシステムがなければいけない。
Unconscious biasは社会でも職場でもなく、
家庭から始まっていくと思います。
「女性であることの制限が最小になるシステム」は
家庭から作るしかありません。

そして「女性であること」の制限は男女間で生まれるとも限りません。
呪いにかかった女性同士の牽制や制限のぶつけ合い。
女性本人の思い込みや罪悪感。
最終的に枷になるのはそんな足の引っ張り合いかもしれません。

忘れられない女性たち

実際に私がこの本を読んでから何か月もたっていますが、
何人か忘れられない登場人物がいます。

※本から一部編集して抜粋しています

キム・ジヨンの職場にバリキャリの女性課長が登場します。

「女はだめだな」といわれないように、残業や出張も自分から買って出て、出産後も一か月で復帰した。自分はそれでよかったが、そのやり方をマネできる後輩はいなかった。実際には、たびたびの残業や土日出勤、出張は人員不足の問題である。出産と育児による休暇や休業も当然の権利なのに取得しなかったので、後輩の権利まで奪ってしまうことになった。それを反省して制度を整えて、後輩が育児休業を終えて一年後に復帰した。しかし残業と土日出勤までは、課長にもどうすることもできなかった。月給のほとんどをベビーシッター代につぎ込み、いつもいっぱいいっぱいで、あの人この人に子供を預け、夫とメールや電話でけんかし、挙句の果てに週末には子供をおんぶして出社していた後輩は結局、会社を辞めた。

キム・ジヨンの主治医である精神科医の妻は眼科医でした。

「高い意欲を持つ眼科専門医だった妻が教授になることをあきらめ、勤務医になった。保育園と、しばしば入れ替わるベビーシッターたちに子供を順ぐりに預けて、一日一日、文字通り頑張って持ちこたえてきた。・・・子供がとうとう小学校に入ったところで問題を起こして学校に呼び出された。担任に低学年の時だけでもお母さんがそばにいてあげてくださいと勧めたので仕事を休むことにした。」
夫である精神科医は、「妻には得意なこと、好きなことを仕事にしてほしい、と思っている。それしかできないからではなくて、絶対やりたくてやるという仕事。」とつぶやく。

わたしは子供をおんぶして病棟に行ったことはないし、
(職場まで連れていくことはしばしば)
幸い保育園とおばあちゃんの助けでそれこそ一日一日持ちこたえていますが、
察するに余りあるエピソードです。
実際わたしもこの連休も24時間当直で家をあけています。

息子くんが「パパもママも働いていて助け合っている」姿を
前向きにとらえてくれるかどうかは、
会っている時のかかわり方次第であろうと感じています。
バランスをとりながらやりたい仕事を続ける道を模索する両親を
きっと応援してくれると信じています。

この記事を読んでくださった方が
「●●だから」というbiasでなにかをあきらめずに
自分の人生を最高のものにできますように。
まずは家庭から。そして自分にかけた呪いをとくことから。


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