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光を観る旅パート3

残り二席のツアーをゲットして、フェリーに乗って奈留島に向かいました。
潜伏キリシタンたちは、この海を小舟で渡り、信仰を守るために彼の地を目指したのかと、大きなフェリーのデッキで風に吹かれながら考えたところで、この時は何も観じません。

奈留島の潜伏キリシタンの教会は、今は一人だけの信者のために月に一度、他の地区から神父が派遣されてミサが行われているそうです。
江上天主堂が建つ地区には二世帯、三人が住んでいるだけ。
島もかつては一万人が住んでいたそうですが、今は二千人を切っているそうです。

ちょうど下校時刻に、小学生二人が道を歩いていましたが、子どもが歩いているのはこの時刻のこの場所だけだと言う、なんとも寂しい話を聞きました。

さて、江上天主堂です。
木立に隠れるように建つ会堂は、木造の白いペンキが塗られた、可愛らしい教会です。
ヨーロッパに見られるような、天に届かんばかりの威容や権威を誇るでもなく、ようやく禁教が解かれた慎ましい歓びと、それまでの労苦と悲しみを癒すかのような佇まいでした。

見たかった幻の十字架は、ある季節のある時刻にだけ現れるそうです。
それはテレビで観たからよしとします。

海上タクシーと呼ばれるボートで、すぐ隣の久賀島に渡ります。
めっちゃ漁師さんと言う風情の船長さんが、豪快にぶっ飛ばして海を駆けます。上海留奈って船体に書いてあるのがかわいいなあ。上海リルじゃないんだとか思っていたけれど、奈留海上でしたわ。

上海留奈号(ちがう)

久賀島の五輪地区には今はほとんど人は住んでおらず、船大工が作った旧五輪教会と、新しい教会堂が隣り合ってひっそりと海っぺたに建っています。
教会守りの方は、キリシタンではないそうですが、この地区にお住まいなのか、通っていらっしゃるのかは聞きませんでしたが、教会から海沿いの獣道のような小道を10分ほど歩くと、ちょうど二つの教会が見える場所に差し掛かります。
すると、教会の方から「ヤッホー」と声が聞こえました。
毎回、この場所にツアー客が差し掛かるまで、見守っていらっしゃるのかと思うと、何だか胸熱になりました。

やっほー


やがて少しだけ開けた場所にタクシーが待っていてくれました。ツアーってこういうのがありがたい。

そこからも、ほぼ広めの獣道みたいな道を車は走ります。なかなかスリリング。
対向車が来たらどうするんだろう。
でも人口が250人ほどのこの島で、あまりそのようなことは考えなくてもよさそうです。
ここもかつては四千人を超える島民が住んでいたそうです。

途中、かつては二番目の大きさだという集落を過ぎましたが、学校は廃校で、集落の半分以上は空き家だというお話でした。
空き家と指摘された家の窓からは、キッチン用品や、生活用品が透けて見えていて、そっくりそのまま物だけ遺して、人だけがいなくなることの、何ともいえないもの寂しい雰囲気が、集落全体を覆っていました。

まだ終わらないので、続きます。

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