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決断の時

本当にいつの頃からか忘れてしまったのですけれど、この世界を創り出しているのは自分自身であるという話を、すっかりそのように受け止めています。
シンクロニシティのような出来事も、自分の思う方向に後押ししてくれるような発言を誰かから聞くのも、全部自分が仕込んでいるのだと、時々思い出します。
思い出すのは時々なので、シンクロニシティが起きたり、後押ししてもらったりしたら、素直に喜んでしまいます。
そして、後で自分が仕込んだことなのだと、目覚めるわけなのです。

何かをやりたい。何かをやめたい。いずれにせよ、意識にのぼってきた時点で、結論は出ています。
つべこべと言い訳を考えたり、あれこれと条件を並べ立てたりしたところで、やりたいものはやりたいし、やめたいものはやめたいのです。

これまでも、ずっとそうしてきました。
誰かに後押ししてもらったり、お告げのような現象を見たり聞いたり、自分でコイントスのようなことをしたりしつつ、決断をして、実行してきました。
これがなくなった時、経済的な問題や人間関係は大丈夫なのだろうかとか、今振り返ると杞憂に過ぎなかったことを、その時々で考えることはありましたけれど、やっぱり自分の魂はやりたがったり、やめたがったりしているわけです。
やるのも、やめるのも、勇気が必要です。
最悪のケースを考えることも必要なのかもしれませんけれど、私はあまり細かいことを考えられない性格のようなので、最終的には「なんとかなる」という気持ちで決断をします。

今の私が、今の気持ちに正直になった時、現実が動き出すスイッチを押すことになるのでしょう。

そのスイッチを押すのは、紛れもなく自分です。
誰かに言われたからとか、そうならざるを得なかった事態が起きたとしても、少なくともその行動をしたのは自分です。
させられた、なんて思うことは、思い違いも甚だしい。
さらには、そうせざるを得ない事態を仕組んだのも自分だということです。

同じことを考えて、ぐるぐると思考がループしてしまったら、一度立ち止まるか、元いた場所に立ち返って、目的地を設定し直すといいですね。
どんなルートを辿るのかは、その時の気分で決めても良いかもしれません。

どのルートを通っても、人生の最終目的地は同じです。
途中の景色を楽しむことが本当は大切なのかもしれません。
ぐるぐるのループを経験するのも、ひとつの楽しみ方だったりして。

そのループから抜け出す道を見つけた時、ひとつギアが上がるのかもしれません。
ギアが上がればスピードも増します。
行きたい場所に、思いがけず早く到着するでしょうし、そうしたら次の目的地というか、経由地が見えてくるかもしれません。

自分の本当の気持ちを大切にしつつ、今ある状況を楽しみつつ、魂の喜ぶことをしつつ、人生という旅を続けます。
途中下車も、乗り換えも、自分の決断で行います。予期せぬ出来事も、自分で仕組んだことがわかれば、それを体験することが自分が望んだことなのだと自分に言い聞かせて、難儀な仕事にチャレンジする気にもなるというものです。

次はどんな決断をするのでしょうね。ワクワクですね。



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