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20年間の習慣

2001年。当時から、誰かに見せたり、何かを言われたりするでもなく、ましてや誰に評価されるでもなく。それでもやり続けている習慣が、日記。

20年前、引越し(と転校)に伴う感情の変化を言語化しておこうと、日記を書き始めました。(もしかしたら親や兄に何か言われて書き始めたのかもしれない)

あいだの17年間ほどの日記は青春の色々な話で埋め尽くされていたので、結婚のタイミングでごっそり捨ててしまいましたが、書き始めた最初の1冊は今も保管してあって、20年経った2021年の年の瀬、久しぶりに開いてみました。


20年前の自分は、細胞レベルで完全に他人。というよりも、子どもです。小学生なので当たり前ですが。

日記を読むと、こんなこと思ってたんだな、という発見もあれば、何言ってんだと思うツッコミどころも。


こうして20年日記を書いていると、その時にどんなに辛く感じていることでも、大概の内容は時が解決してくれている、と心から実感できます。

今年は4月頃に少し大変な時期がありました。そんな時も日記の中で、1日を振り返り、何が自分をしんどくさせているのかを整理して、落ち着いて対処することが出来た気がします。


日記は、誰にも見せない前提で自分の本音と向き合う大事なツール。家族にも誰にも見せない。

だからきっと当時の自分はこれがネット上に上がるとは思ってもみなかったはずです。ネットなんて身近じゃなかったか。

20年前の自分の日記を読むと、恥ずかしいという感情はなく、もはや他人で、子どもで、客観的に読んで楽しめたので、最後に少し載せてみます。



記念すべき最初の記録は2001年10月23日、引っ越し前夜。謎の泣き顔が沢山。日付の横には、タイトルも必ずつけていたようです。

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でも、泣くのは「くすくす」ではなく「しくしく」だろう…。


小学校のフリマに行った時には、モー娘。の写真カードを100円で買ったそうです。フォントを変えるあたりお得だった感じが伝わってきます。

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〜んだ。 〜よ。 の終助詞を多用しているのもなかなか面白い。日記を書きながら自分と対話しているのが分かります。


12月1日はタイトルなしです。

今日から12月だーーー。
今年も(もう)おわりだーーー。
今日も(もう)よるだーーー。
(^_^)

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\もう/ を追記するのがポイントらしい。20年前も1年の終わりを惜しんだりしていたようです。

さて、20年後の私も、今年の終わりを惜しみつつ来年を気持ちよく迎えられるように振り返りをしております。

これから次の20年、また違う自分になれるかな?来年もわくわくがたくさんの一年にしていきたいと思います。

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