父と運転免許証
父の誇りの証明でもあった
父は若い頃からずっと会社付きの運転手をしていた。父が持っていたのは大型二種で当時は今よりも取得しやすかったようだが、そうは言っても取るのは大変だったようで「お父さんの免許はバスでもなんでも運転できるんだぞー!」とよく自慢していた。
中学しか出ていなかった彼にしたら他の人よりも優れた能力を証明する唯一の資格であり、家族を養ってきた証でもあった。きっと私のように移動手段に必要な物、という認識ではなかったはずだ。
それもあってか、姉も私も大学1年生の夏休みには半ば強制的に父に某自動車教習所(どうやらツテがあって料金を安くしてもらえたらしい)へ連れて行かれ、運転免許を取った。今思えばあまり教育方針などに口を出さなかった父が主体的に動いた数少ない行動だったし、あの時取っていなかったらタイミングを逃していたかもしれない。
何かと問題の多かった父だが、運転免許については彼なりの親心だったのかな、とハンドルを握るとふと生前の父を思い出すことがある。
老化による運転の問題
そんな運転については自信のあった父だが、80歳を過ぎた頃から家族は「そろそろ運転免許を返納したら?」と心配するようになった。
父にすれば「何を言っているんだ!俺の方が運転はうまい!」と思っていたようだが、内心ビクビクしていたようでその頃ドライブレコーダーを車に取り付けていた(実は後日あるきっかけで私は知ったのだが…)。
そんなある日母から「お父さんが運転した車が他の車とぶつかった!怪我はないけど大変だったの。もう二度と運転してほしくない!!」と興奮した口調で電話がかかってきた。
驚いて状況を確認すると、甥を習い事へ送迎する際交差点で他の車と衝突事故になったらしい。幸いけが人はいなかったが、相手方には「なんでそんな老人に運転させているんだ!」と怒鳴られたそうで、母はかなり傷心していた。父は不都合な真実を認めたくないのか黙り込んでしまい、詳細を聞けなかったが、この時ドライブレコーダーを搭載していたことが功を奏した。
なんと、先方が赤信号なのに交差点に侵入してきたという驚愕の事実が判明したのだ。確固たる証拠映像にそれまで強気だった相手側は手のひらを返し、交渉も一気に解決へと事態が動いたらしい。意気消沈していた父も「それみたことか!」となっていた。しかし、今後同様なことがあったらそれはそれで大変だ。下手すれば家族も巻き込まれる。
母と姉も動いた。これを機に孫たちも大きくなってきたから、と習い事などはできるだけ自分たちで行ってもらい、母も車での外出は姉や私に頼むようことにした。それも父にしたら気に障ったようで「俺を信用していない!」と怒っていたが、背に腹は代えられない。
両親と外出する際も私が運転することになり、父は「軽自動車なんて!(私の車は軽自動車)」と大いに不満気だったが、母は「由美の車は片付いているからサッと乗れて便利ねー」とニコニコして乗っていたこともあり、次第に父の運転は本人の用事だけになっていった。
怪しい兆候
83歳頃から次第に目の調子が悪くなり、本人の希望もあってその頃から大きな病院へ通院する際は私が付き添うようになった。元々要領よく状況を説明するのが苦手な人だったが、どうやらこの前後から認知機能が衰えてきたようだった。
母や姉は「もう免許証返納してよ!」と事あることに訴えていたが、同居していると互いに遠慮しないからか、言い争いに発展してしまい、かえって反発心を招いてしまう結果になっていた。私からも「目が見えづらいなら運転も控えた方がいいのでは?」と少しずつ話していたが、娘のいうことなど歯牙にもかけない。
これは説得は難しそうだ、と定期的に実家へ出かけては親の話し相手や片付けなどを一緒にする、といった一種便利屋のようなことを続けているうちに次第に父も「○○へ行きたいから送ってくれ」と言うようになり、できるだけ本人にハンドルを握らせない作戦を続けることにした。今考えれば父も衰えを自覚していたが、運転を辞めると一気に不便になるから辞められなかったのかもしれない。
85歳を過ぎた頃、さらに事態は動いた。ご近所の車をこする(どうやら先方も道路に多少はみ出していたらしいが…)という今までの父ならあり得ないミスが起きたのだ。経過観察していた目も手術することになり、「もう運転はやめようよ」と母と姉もさらに強く訴えるようになった。
それでも時々運転していたようだが、主治医(どうやら度重なる父の不定愁訴に音を上げたらしい)からの紹介で総合病院の精神科を受診→勧められて介護保険利用申請→要介護1の判定となったことで、さらに父の運転リスクが露呈される状況となった。母と姉も「もう運転させない!」と息巻いたが、そうなると父も意地になったようで「絶対運転をやめない!」と反発したらしい。
ケアマネさんからも「人身事故になったら大変ですよ」とやんわり運転を辞めるよう話をしてもらったが、頑なな様子だったため、これは時間をかけて対応しないとかも、とケアマネさんとは話していた。
ところが、その直後にディーラーへ修理に持ち込んだ際バックで車庫入れしようとしてそこの壁にぶつかるというハプニングが起きた。すると母と姉が「だから言ったでしょ!もう免許返納して!!」と激怒し、すったもんだの末父が姉に車の鍵を渡すという結果になった。
免許返納については「警察から運転する資格がない、と言われるまでは持っていたい」と言ったそうなので、次回更新時に何か対応しよう、となった。よく姉に鍵を渡したな、と正直驚いたが、ケアマネさんには「きっと由美さんが何かと送迎してくれているからだよ。そうじゃなければ、〇〇さん(父のこと)の性格を考えると隠れてでも運転すると思うよ」と言われた。
確かに運転できなくなってもある程度移動手段の保証がなければ、運転を辞めるにやめられない、ということもあり得る。父が運転をやめられたのはいくつかの幸運が重なった結果なのかもしれない。
ただ、本人が不満たらたらなのは傍から見ても明らかなので、「お父さんは大きな事故もなく60年以上の運転人生を終えられたのはとても幸せなことだし、誇りに思った方がいいよ」と慰めにもならないようなことを伝えたが、果たしてどう感じたかは未だに分からない。
警察への相談
それから約4ヶ月後の2019年大晦日に父は大動脈解離を発症して突然倒れ、近くの総合病院へ入院した。
そんな中実家へ運転免許更新前に行う認知機能検査を受けるためのはがきが届いた。
これを父に見せたら「検査を受けたい!」と騒ぐのは目に見えている。おまけに今回の入院で認知機能が明らかに低下し、網膜静脈閉塞症や白内障で目もよく見えていないことは検査などでも分かっていた。
むしろこの機会に運転できないことを証明してもらうための手はずを整えよう、と運転免許試験場の問い合わせ先へ電話して状況を説明すると、「では、地元の警察署の運転免許担当部署へ相談してください」と言われた。
早速地元の警察署へ問い合わせると担当者が丁寧に対応し、「一度お話を聞かせてください」ということで、早速本人の運転免許証(幸い色々手続きに使うから、と預かっていた)などを持って後日実家管轄の警察署へ出向いた。
事情を説明すると「主治医に運転が難しい旨診断書を書いてほしい」と言われたので、ガイドラインなどを持って主治医のもとを訪ね、事情を伝えて診断書作成を依頼した。
診断書など必要書類を提出して10日ほどしたある日、運転免許試験場の担当者から電話がかかってきた。
改めて経過や事情を伝えると「入院中ならこちらからコンタクトはできませんが、退院したらすぐに動きます」とのことだったので状況に変更が出た際にはすぐ連絡をする段取りを取り付けて電話を切った。
ケアマネさんに伝えると「同様な状況で困っているご家族がいるから早速教えるわ!」とのことだった。高齢者の交通事故が大きなニュースになったことで警察の対応も変わってきたのかもしれないが、少なくとも私はとても丁寧かつ真摯に対応してもらえた。父の病状はもちろんだが、新型コロナの流行の兆しといった不安な出来事が続く中、警察の対応でホッとしたのを今でも覚えている。
しかし、父は結局入院したまま帰らぬ人となった。状況が変わったら連絡するという約束もあったので担当者へその旨を連絡し、色々動いてもらったことにお礼を述べた。先方も驚いたようだが、そのまま父の免許証は有効期限後失効となるので、免許証は色々落ち着いてから返納すればいいですよ、と言われた。
父亡き今
夫の両親も私の母も運転免許を持っていないため、父が死去したことで当面は高齢者の運転問題について直接関係はなくなった。
しかし、あと20年ほどすれば夫や私の問題になるはずなので、他人事と思わず考えていけたら、というのが正直な気持ちだ。
父のケースはサンプル1の体験談にしか過ぎないが、高齢者に運転をやめてもらうまでにどんなことに家族が悩み、対応してきたことを知ってもらうきっかけになれば幸いである。
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