コロナ2年目の夏に想う
最近のN子さん
ようやく新型コロナワクチンの接種が本格的に始まり、母N子さんも近所の病院で無事ワクチン接種を2回行えたのでホッとした。
このところは介護保険で週2回デイサービス(入浴と体操以外の時間は読書して過ごしている模様)と週1回ヘルパーさん(水回りや手が届かない箇所の掃除、布団干しなどを依頼)を利用し、週1回ほどサ高住の基本サービスについている買い物サービスを利用している。
他の日は家事をしてから以前はゆっくり見られなかったドキュメンタリー番組や読書を楽しみ、合間に私と一緒に病院や図書館、時折美術館などへ出かけている。
幸いこちらにも友人ができて読書会を開いたり(緊急事態宣言時は休止したが)、旧友と本について手紙やメール、電話などでやり取りしているが、ずっと4~5人で暮らしていたこともあってか、人恋しくなるらしい。
コロナの影響でちょっとした雑談も気軽にできない状況だし、N子さんが好きな話題もデイサービスやサ高住のスタッフとは難しい面もあるだろう。幸い互いの家を行き来できるため、定期的に夫婦で訪ねては母が作った食事を囲んで話をする機会を設けている。
細かい不満はあるにせよ、本人も「当事者になって、老いや死について見えてきたことがある」とあれこれ思いを馳せているようだ。
そろそろ疲れが…
去年の5月から6月の記録を確認するとちょうどこの頃1回目の緊急事態宣言が終わり、N子さんと私はN子さんのサ高住転居に向け、実家を片付けて姉一家(姉、姪、甥)に本格的に引き渡す準備と、父の相続手続きも終盤に差し掛かっていた。
N子さんがこちらへ転居して1年になり、ずっと張り詰めていた緊張の糸が少しずつ緩んできているのを感じている。
よく考えてみれば仕事の合間に定期的に実家へ通って母の家事や片付けを手伝い、父の通院や介護のサポートを9年ほど続けていたし、その間には夫の起業やそのサポート(3年ほどで終わったが)もしていた。我ながらよくやってきたな、と思う。
新型コロナワクチンの接種が広まればもう少し気分転換などもできるかもしれないが、変異種の流行も懸念されきているし、なかなか先が見通せない。
外出しても何となくコロナに翻弄される日々に疲れている雰囲気を感じるし、特にこの1年の重みを痛感するのが発達相談をしている時だ。成長期の子どもにとっては相当ストレスの多い日々だったことは想像に難くない。保護者たちと話しても「色々やってあげたいけど、コロナの影響で…」と顔を曇らせることが多い。
子どもたちへの影響
私が発達相談で顔を合わせる子どもたちは就学前なので、彼らの記憶にあるのは恐らくコロナ禍以降の日々だろう。家族以外でマスクをしていない人は画面越しの存在で、外で顔を合わせる大人たちはほぼ全員マスクをしていて顔全体の表情は見えない。
三密回避のため室内での遊びはもちろんだが、外遊びも制限され、友達とのおもちゃの貸し借りも気を遣い、食事中は沈黙を守ることを求められる。かつての私のように社会的な関わりがストレスな子どももいるから一概には言えないが、大半の子どもたちにはコロナによるダメージは大きいだろう。
子どもたちを見守る大人たちもコロナ対策に追われ、余裕がない状況で何となくピリピリしていることもあるだろう。誰が悪いわけでもないが、できるだけコロナの悪影響を減らし、いい変化は残したいところだ。
親の話から感じること
太平洋戦争が終わった時私の父は12歳、母は6歳だった。ちょうど成長期に戦中戦後の混乱に巻き込まれ、その経験は彼らの人生に大きな影を落としている。
戦争に限らず、大きな災害など自分の力ではどうにもならない理不尽極まりない出来事に巻き込まれ、日常生活を喪失した体験は人々の心にダメージを与える。
母も「最近の世の中のザワザワした感じは戦後の混乱した世相に似ている」と言うことがあり、それだけ世の中が大きく変化する潮目に来ているのだろう。
コロナが収束し、人々が心穏やかに幸せに暮らせるまでまだ少し時間がかかるかもしれない。それでも少し先の未来を考えながら過ごしたいと思っている。
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