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絶望して、生まれ変わる

もがきながらも、お掃除(内観と手放し)を続けていた私。


良美さんのセッションは、約1か月おきに計3回受け、
発信されている良美さんのYouTubeからもヒントを得て
自分なりにお掃除のやり方を少しずつ深めていきました。

「これが嫌だ!」「悲しい!」で止まっていた所から、
そのさらに奥に感情が眠っているということ。
そして、本当はどうしてほしかったのか、どうしたかったのか、
というところまで自分に問いかけていくということ。

自分というものに、ほんの少し近づけたような気もするけれど、
それでもまだ、正解も不正解もない道を探り探り進んでいるような日々でした。


お掃除を始めて数か月後、農業研修が終わり、小豆島へ移住。

新しい暮らし、そして畑の開墾、新規就農、農作業、、、
ゼロからのスタート。まずは農業一本でやっていくので、とにかくやるしかない、という状況の中、ただただ夫婦で突っ走っていました。

この頃は、なんとかして軌道にのせないと、と時間に追われ
毎日慌ただしく過ごしていて。
その時感じた感情をささっと手放すお掃除はしていたけれど、
忙しくて余裕がないと言い訳して、しっかり自分と向き合う、ということからは遠のいていました。

でも、心のどこかではずっともやもやしていて。
自分たちの力で進み始めたけれど、
私の世界は相変わらず、薄暗くて、霧がかかったような状態。
まだまだ「自分を生きる」ことなんてできていなかったのです。



私は、根っこに、他人に対する不信感や恐怖感が強くあって。
他人は裏切るし、私から離れていくもの、という観念がどこかにいつもありました。
でも、怖いけど、愛されたくて、必要とされたくて。
だから、他人の目を気にして、自分を犠牲にしてでも他人に合わせて生きていました。


小豆島の生活にも慣れてきて、他人に合わせる自分に嫌気がさしてきていたある日、
他人に愛されたくて、必要とされたくてたまらなかったのに、
結局私は何も変わっていなくて、
やっぱり私は愛されなくて、一人ぼっちなんだ・・・と突きつけられるような、私にとってそう感じる出来事がありました。

その事実に直面した時、頭の中が真っ白になって、思ったのは、
「あ、もう無理かも」。
この世界に、本当に一人ぼっちのような気がしていました。


お掃除もしてきたのに、なんにも変わってない。
どうして私はこんなに生きるのが苦しいんだろう、
こんなにもこんなにも愛されたいのに、どうして愛されないんだろう、
どうして、私は「わたし」なんだろう、、、

胸が苦しくて苦しくて。
泣き叫んで、
本気で、もういなくなりたい、と思いました。

いるとしたら、神様を、宇宙を、本気で恨んだ。
絶望しかなくて、ただただ泣き続けていました。
涙ってこんなにも出るんだ、、ってくらいに。

(私がこんな状態の時、夫は最初こそうろたえていましたが、
嫌がることもなく、背中をさすってくれたり、優しく寄り添ってくれて。本当にありがたかった。)



落ちるとこまで落ちきって、約2週間。
咳もすごくて、声もガラガラ。
何もしたくなくて、外にも出たくなかった。

少し咳が収まってきたとき、
そろそろ、自分と向き合おうかな、とふっと思えて
良美さんのブログを久しぶりに覗きに行きました。

まさにちょうどその日アップされていたブログ。
良美さんの真っ直ぐなことば、エネルギーに胸が熱くなって
ぽろぽろ涙がこぼれてきて。
外側に期待しているだけじゃなくて、自分に集中していこう、と
力が蘇ってきました。


その後、すぐに良美さんにセッションをお願いして。
丁寧に、丁寧に、一緒に向き合ってくださり、
土台の再確認と、意識を整える、大切な時間となりました。

「やっと、戻ってこれた」って
やっぱり、私は泥臭いこの道が好きなんだって、
その時、しみじみ感じたのです。



思い返せば、落ちるところまで落ちて、うんざりして、
また向き合っていこうと決意できたこの時から、
自分への向き合い方が、ぐぐっと一気に深まっていったように思います。

お掃除ワークをするときの、
身体中、全身めいっぱい使って
「感じ切る」、「出し切る」ということがわかってきて

自分への問いかけも深く、深く、
色んな角度から行えるようになってきました。

物凄くエネルギーを使うので、へとへとになるのですが
出し切った後の体感の変化や
気づきが湧き上がってくる、ということも頻繁に感じるようになりました。


もちろん、そこから現実がすぐに変わっていったとかは全くなくて、
しばらくは苦しく辛い日々が続くのですが
 
その苦しみ自体も、現実が辛いことに対する苦しさから、
自分に向き合うことへの苦しさへと、比重が変わっていったんだと思います。

(この他人に対する不信感みたいなものは根強くて。
今もまだ、抜けきった、とは言い切れないな、と思っています。
この時以来、色んな角度から、ずっと観ているポイントです。)



自分が崩壊するような、辛く苦しい感情を味わうことになったのも、
地道にお掃除を続けてきた結果、
これまでずっと閉ざしていた「わたし」が、私自身に心を開いてくれるようになったからなのかな、とも思います。

絶望して、感情をこれ以上ないくらい味わい尽くしたからこそ、
そこから這い上がろうと、進んでいこうと、心から決意できて、
やっぱり私は、「わたし」を生きたいって心から思えて。
その結果、目に映る世界、自分の世界との向き合い方が一変したのだと。


そして、自分に向き合うことを諦めずに続けていくうちに、
私は「一人じゃない」っていうことが、段々と感じられるようになってきました。



















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