平井優実

香川県の小豆島にて yorisou farm enという農園を夫婦で営んでいます こ…

平井優実

香川県の小豆島にて yorisou farm enという農園を夫婦で営んでいます ここでは精神世界のこと、日々の気づきなどを綴っていきます

最近の記事

どこまでいっても、二極化、陰陽化する私たち

ありとあらゆるものが二元、二極化しているこの世界。 この世界も、もちろん私自身も、どこまでいっても、どうしても、何かの「枠」に閉じこもっていることに気づいたとき、愕然としました。 自分が何かに興味を向けたり、これが「正義」だと思った瞬間、 それと正反対のものは、よくない、見てはいけないものとして閉じ込めてしまう。 そして、それをずっとずっと繰り返す。 でも、その見ないようにしている、悪だと思っているものは 本当は自分の中にもあって、無自覚にその「悪」をやっている。 最近

    • 突き抜けていくための準備段階としての虚無感、孤独感

      この1~2週間ほど、重苦しくぼーっとした日が続いていました。 日々内観と手放しをしていて、 男性性、社会に対するブロックに気づいたりもしたのですが どうもすっきりしない。 日に日に沈み込んでいくようでしんどくて 久しぶりに、もう消えたいな、、、なんて感じたり。 虚無感でいっぱいで、だらだらと過ごしていたのですが 昨日から、やっと切り替わってきた感じがしました。 これまで、色んな角度からの手放しをして受け取るものがあり、 世界の見え方、捉え方が変化してきたのですが、 最

      • 「わたし」を生きるとは、不安定を生きるということ

        松村潔さんが、グルジェフの哲学を引用して、 「安心、安定=眠り」と言っておられるのを見かけました。 この「眠り」とは睡眠のことではなく、 真の人間として「目覚めていない」、「覚醒していない」ということ。 例えば、何かを学んでわかった気になり、安心してそこにずっと留まること。 指導者のような立場の人がいる宗教、グループ、団体の中に入りこみ、 その教えや思想、哲学に依存、執着し、安心を得ようとすること。 それは、自ら思考し、創造し続けることを放棄しているということで、 い

        • 苦しみの中から這い上がることが出来た理由

          前回の記事でも紹介した、 島の自然農園の山岡さんとの動画の中で 私が苦しみの中から抜け出し、進むことができたのはどうしてか? というような問いかけがありました。 私は、苦しんでいる最中にも、どこか「このままで終わる私じゃない」というような意識があった、とお伝えしたのですが、 そこから、私には「もう一つの視点があった」、「“空間”があった」から 進むことができたのかな、と山岡さんがお話しされていました。 このことを、私自身の内からのことばとして 整理して言語化したいなと思い

        どこまでいっても、二極化、陰陽化する私たち

          自分と繋がって、世界と繋がる

          昨日、牡羊座満月を過ぎた頃、 私の中で、何かが切り替わったような感覚がありました。 うまく言語化できないけれど、 あ、進める、と芯が通ったような。 眠りについて、今朝。 以前noteでも書いた、島の自然農園さんがYouTubeで取り上げてくださった 5回にわたる、私たちの農園紹介動画の最終回が 昨日の満月の夜中にあげられていたことに気がつきました。 その動画を拝見して、 前日感じた、「切り替わり」のような感覚、 私にとって、大きな区切りだな、と感じたのです。 前回、今回

          自分と繋がって、世界と繋がる

          誰かを「尊敬する」とは?

          ふと、誰かを「尊敬する」ことについて考えたとき、 なんだかよくわからなくなった。 あれ?どういうことだっけ? 尊敬ってなんだ?と。 少し前のnoteの記事でも、 「自然農を提唱された川口由一さんの考え方などを リスペクトしているが、すべてを絶対的なものとは思っていない」 というようなことを書いていたのですが、 よく考えると、わたし、特に「尊敬」はしていないな、と思ったのです。 ある部分の考え方については共感できるけれど、 尊敬ではないな、と。 俯瞰して自分を観てみると

          誰かを「尊敬する」とは?

          わたしの身体に対する恐怖心、不信感に初めて向き合う

          私にとって、大きい部分に向き合い、手放しをしましたが、 まだ、何かつっかかりがありました。 自分に問いかけてみると、それは不整脈のことでした。 私は、子どもの頃の健康診断で引っかかり、 WPW症候群という診断を受けています。 心臓の神経が1本多く、 電気信号?が通常と異なる伝わり方をするとかで。 日常生活には何の制限も支障もないのですが、 人によって、頻脈が出ることがある、とのこと。 これまでに何回か出たことがあるのですが、 印象的なのは学生の頃。 自分と向き合うこ

          わたしの身体に対する恐怖心、不信感に初めて向き合う

          身体や心を疲弊させてまで、ひとりで全部抱え込んできた私を手放す

          1週間ほど前、不整脈が出ました。 内観すると、「ひとりで気負って頑張ることが辛い」 ということからきているな、とふっと思い 学生の頃のことが次々と思い出され、 それに関することについてお掃除ワークをしていました。 でも、体調は今一つのまま。 首や頭の痛み、歯の痛み。 時々、胸や胃のあたりにも、ぐっと痛みが出て 息苦しさもあり。 ひとり取り残されて、何かをしていて、 どこか孤独感を感じるような夢を見ることも何度かありました。 この、胸や喉がぎゅっと締まるような感じ、 恐

          身体や心を疲弊させてまで、ひとりで全部抱え込んできた私を手放す

          自然農の先輩に再会して感じた、繋がれることの喜び

          先日、愛媛の興居島にて、自然農で営農されている 島の自然農園の山岡さんが私たちの農園にお越しくださいました。 山岡さんはYouTubeで自然農に関することを発信されていて 全国の自然農を実践されている方を それぞれが繫がれるように、と訪ね紹介する企画を始められ、 私たちの畑にも、その一環でお越しくださったのです。 数年前、家庭菜園をしていたとき、 私たちは山岡さんのYouTubeがきっかけで「自然農」に出会ったのですが、 それ以来、山岡さんの動画にはずっと助けられてきま

          自然農の先輩に再会して感じた、繋がれることの喜び

          いつもどこかで湧き上がる、ジャッジする気持ち

          自分と向き合ってきて数年。 ここ最近は、より一層「目に見えない世界」への興味関心が増しています。 多分それは、松村潔さんの発信に触れたことが大きくて。 そこに詰まっているものを探求したい気持ちが湧き上がってきていて そこに触れたい、近づきたいと、ワクワクしているこの頃です。 そんな中、受け取る情報も少し変わってきたのですが いろんな方の様々な発信を見ていると、 自分を整え、「宇宙意識」、「全惑星意識」、そしてその先を目指していく方法として 瞑想や、夢探索をはじめとする様

          いつもどこかで湧き上がる、ジャッジする気持ち

          助け合いながら、すべて自分で生み出すしかない

          精神世界についての情報、教え 見えない世界に限らなくても、ありとあらゆる種類の情報や知識が いつでもどこでも、簡単に手に入る。 私自身も、何か入れておかないと置いていかれるような 焦りや不安感から、浴びるように情報を得ていて YouTubeをラジオのようにずっと聞き流していました。 でも、自分を整えだしてしばらくすると、 常に未来のことを気にして不安に思う、という感覚が薄れていって 必死に情報を捕まえに行く、ということはしなくなったのです。 とはいえ、スピリチュアルと呼

          助け合いながら、すべて自分で生み出すしかない

          私たちは、父や母を生きている

          自分の本音に寄り添い、 どんな感情も感じ切って出し切る、ということを始めて少しすると、 今起こっているドラマに対して反応している自分の感情が、 人や状況は違えど、過去にも同じように感じていた、ということに気がつき始めました。 そして、その奥をさらに遡ってみると、 「これって、私の父や母を投影しているんじゃないか?」と 感じることも多くなってきたのです。 子どもの頃、父や母に対して感じていた感情。 でも、その頃は出し切れていなかったり、 「こんなこと思っちゃだめだ」と我慢し

          私たちは、父や母を生きている

          愛や感謝は自分の中から自然と湧き上がってくるもの

          過去の自分を恥じていた私。 初めて真正面から向き合い、その頃の自分を全部受け入れることで ずっと抱えてきた、罪悪感のようなものを手放すことができました。 松本良美さんのYouTubeで、 何回か一緒にお話しさせていただいていて、 このことについても、シェアしています。 半年前なのか~!懐かしい! よろしければ、ご覧ください。 この動画を見た、同じようにテハナシ(内観、手放し)をされている方から 直接メッセージをいただきました。 私の話に心を打たれたということ、 私の姿は

          愛や感謝は自分の中から自然と湧き上がってくるもの

          今も昔も、わたしを全部受け入れる〜自分に対する罪悪感の手放し

          愛されたいのに、愛されない。 それについて、内観を続けてきて、 「本当は、どんな私でも、まるごと受け止めてほしかった」 という奥底にあった願いに気がつきました。 いろんなシチュエーションで、いろんな人に感じた その感情を感じ切り、イメージの中で伝える、というのをやった後 あっ・・・と気がついたのは、 そもそも、私自身が、 わたしのすべてを、全く受け止めていなかったという事実。 あれもできていない、 これくらいしかできない、 まだこんな風に思ってしまう、 こればっかり

          今も昔も、わたしを全部受け入れる〜自分に対する罪悪感の手放し

          わたしが世界を引き受ける~被害者意識からの脱却

          最近、「自分の人生に自分で責任を持つ」ということに 反応する私がいました。 多分、これについて、まだ言い訳をしている自分がいたから ざわざわしたんだと思います。 頭ではわかっているつもりだったし、 過去と比べると、少しは変わってきているのは確か。 でも、自分のことを俯瞰したとき、 日々のちょっとしたことでも、 どれだけ「かわいそうな私」、「大変な私」をまだやっていることか・・・ 愕然としました。 例えば、ここ最近でわかりやすかったのが、天候について。 農業をしていると

          わたしが世界を引き受ける~被害者意識からの脱却

          「愛されない」を創っていたのは私だった

          これまでもずっと孤独を感じて生きてきた私。 内観、手放しを始めて、世界との向き合い方が変わってくると、 より一層孤独感が強くなっていきました。 世間との大きな、埋められないズレを感じて。 孤独感が増せば増すほど、人との繋がりを欲していました。 ありのままの私、どんな私でも、まるごと受け止めてくれて、 同じように自分自身と向き合う、信頼できる仲間を。 どこかで、同じように「テハナシ」をしている仲間がいるって 頭ではわかっていても、体感として全く感じられていなかったのです。

          「愛されない」を創っていたのは私だった