朝の反省会。
もし、このままボケてしまって、何もかもわからなくなったら。
そんなことを考えていたら、そろそろ日記を書いておいたほうがいいかなぁなんて思ったんです。
できれば、本当に"日記"にしたい。
ブログを長く運営してきていると、職業病のように自分の「伝えたい」が出てきてしまう。あとは「役立つ記事」とか、「SEOに強い」とか。「わかりやすい文章」とか、ちゃんとしたものを書いてしまいたくなる。
そういうの、"日記"にはいらないわけで。でも、だからって今運営しているブログに日記を書いてしまうと、SEO的によくなかったりする。質の悪い記事って判断されたりして。そんな打算的な考えもむくむく。
しかし、何をもってしてグーグルは質が悪いなんていうのか疑問だけど。ほんと企業よりになってしまったいまのインターネッツはおもしろくない。
とかなんとかそういう愚痴も出てくるし。
夜の日記は個人的にやめたほうがいいと思う
ということで、Noteにマガジン形式で、できるだけ午前中に日記を書くことにした。
夜に書くのはやめたほうがいい。個人的に。
個人的にっていうのは本当に個人的なことで、夜に日記を書いてしまうと、頭が大興奮して眠れなくなる。夫はこういうことはないらしいのだけど、わたしは思考が暴走して考えが止まらなくなって、言葉があふれ出てきて、頭の中がうるさくなってきて、眠れなくなってしまう。だから、夜の日記はやらない。
朝起きて、そういえば昨日こんなことがあったな、今日はこんなことがあるな、なんて書いていこうと思う。
夜は、寝る。ゆっくり寝るために、すべて考えない。嫌なことも、良かったことも、その日、その場において寝る。それがいいと思う。
2021年9月8日
今日の日記は、「今日、朝に日記をつけることにした。」ということを日記として書いた。
相変わらず次女は不登校で。長女もやばいけど、今日は学校へ行った。
ああ、そういえば、昨日の晩御飯中、ちょっと長女と喧嘩っぽくなった。きっかけは、夫が長女の体調に関することに言及したのが始まりだった。
わたしの言葉が悪かったんだろう。たぶん、家にいてほしくない、と捉えたのかもしれない。
長女も不登校気味、次女は完全なる不登校で、正直、終わらない春休みを延々と送っているような感覚になっていて。ちょっと疲れてる。お昼ご飯だって作るのめんどうなんだ。…なんてことをボヤいてしまったから。
それで、昼間に、学校を休んでゴロゴロしている長女から「お昼できたら呼んで」なんて当然のように言われたもんだから、ちょっとカチンときて、そのことを晩御飯どきにねちねち言ってしまった。
返ってきた言葉は、「冷凍チンするだけじゃん!」だった。
「その冷凍チンするだけで食べられるご飯を準備してるのは誰だと思ってるのか、冷凍をチンするだけなら自分でもできるのでは?冷凍をチンするものだけだとダメだから、学校へ行かないなら行かないで、あなたたちの栄養を考えていまは作り置きとかして作っておいてるじゃない。」
わたしは言った。長女は黙った。
そもそも、夫のせいだ、こうなったのは(なすりつけ)。御飯時に、議論になるような話題を持ちかけるべきじゃない(くそでかため息)。
でも。
子どもの頃、わたしにも経験があるのだけど、「親がやってくれるのは当たり前」だと思ってるところがあった。当たり前なことが普通なのかもしれない。
当たり前。当たり前かぁ。当たり前なんて、ないんだけどね。
料理が苦手な人に、母親なら料理ができて当たり前だろうと押し付ける。気持ちが優しい男性に、男ならもっと強気で行くのが当たり前と押し付ける。
当たり前を当たり前と考える習慣は、相手を苦しめることだってある。
学校に行けない子に、学校は当たり前にいくものだと諭したところで、苦しいだけでしょう。それならわかるだろうに。
でも、まだ13歳なら、その当たり前を当たり前として思わせておいてもいいのかな。難しいな。
当たり前なんかない。ないんだけどなぁ。とか言いながらきっと、わたしもどこかの何かを当たり前だと思ってる。きっと。
今朝の長女は、「吐き気がする」と言いながらも、学校へ行った。
見送る後ろ姿に、昨日の、自身の言葉がよぎる。
あなたのことが邪魔なわけじゃない。だから家にいてもいいんだよ。でも、ときどき疲れてしまうんだ。
でも、反省した。
疲れたときはそれを言葉にするんじゃなくて、寝て忘れるか、歌って発散するか、お父さんと少しだけドライブするか。そうやって、あなたたちには、渡さない努力をしなければならないね。
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