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難しい選択


難しい選択

その夜、20:00から22:45まで
お世話になっている二人の獣医の先生は
ビオラに声をかけながら、真っ直ぐに向き合って
最善の道を模索してくださいました。

泣き叫ぶのが止まらない、のたうち回る、凄い形相である。目は正気ではなく
呼吸は荒く、舌は長くだらりとなって涎を垂らし、激しく吠え続ける。


筋肉注射 3回
ルート取ってショットを入れる
持続点滴(滴下速度管理するもの)
薬剤や量を調整しながら投与し、観察する。薬が効かない。


病名としては「血管肉腫」。
ビオラの場合は第5腰椎が原発で
脊椎にできた血管肉腫であった。
(部位的にはレアなケースらしい)
血管肉腫は血液の豊富な臓器に転移し、脾臓や肝臓、リンパ節や肺、どこでも転移し、そのうえ進行が早いという悪性度の非常に高い腫瘍だと聞いていました。脆いために、転移した先の血管が破れて血液がもれ出し、貧血をおこすそうです。

「腫瘍が脊髄を圧迫している痛み」と「癌性疼痛」。痛みレベルでは最大級なのだそう。

ビオラは大型犬にしては小柄な個体で、
しかも痩せてしまったから体重は14Kgしかなかったけど、泣き叫ぶと大音量だった。どんなに痛いのだろう。


できる限りの手を尽くしてくださいました。でも
鎮静鎮痛できない・・・麻酔で完全に眠らせるしかない。


判断が難しかった。いや、難しいのではない。
痛みの緩和ができない以上は、延命してはならない次の段階へ移行すべき。
決めるのは辛かったけれど、


安楽死の選択をしました。

2021年11月22日(月)23:45 
ビオラ虹の橋を渡る。

病気と痛み

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夏ごろから、ビオラはどことなく元気がなかったけれど理由がわからなかった。
大好きだった散歩も長く歩くのを嫌がるようになり、表情が晴れず、
トイレに座り込んだり(ペットシーツに伏せていた)、お尻を舐めたり、尻尾を追いかけたりしていた。受診してもわからなかった。

今ならわかる。膀胱と直腸、肛門あたりのトラブルが始まっていたから、おしっこもうんちもしにくかったのだね。後肢の不自由さがあったから、走ることも辛かったんだね。痛みもあったのだろうね。あの時はわからなくてごめんね。

泣き叫び、そして麻痺

9月13日  その夜、23時から翌朝6時まで、ビオラは泣き叫び、徘徊し吠え続けた。静かになった時、後肢がだらんと垂れ下がっていた。

CTとMRI

全身麻酔になるので、たいそうな検査である。でも、後肢(両)が麻痺してぶらんぶらんになってしまったので検査を受けます。今だから淡々と書いてるけど、当時、私は大変なパニックと絶望で取り乱し、大泣きし、正気を失っていたのだった。食欲もなく、体が重く、さめざめと泣いていました。最も強かったのは罪悪感でした。ああすれば良かった、あれができていなかった、と激しく自分を責め続けた。動けない犬はまるでぬいぐるみである。脚がぶらんぶらんのビオラを抱いてそう思った。

神経学的な診察と血液検査、CT,MRI検査、全部を診ての説明を受けて納得した。なるほどこれは確かに、レントゲンやエコーや血液検査ではわからなかった。謎が解けた。

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脊椎から内側に向かって腫瘍があり、脊髄を圧迫している。
すでに、浸潤も見られた(腹腔内にも)。
病理の結果では、血管肉腫ということだった。

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素人目にもわかる、椎間孔がすでにない・・・(上の画像)
正常はこんなのだものね(下図)

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手術を受ける

9月17日、疼痛緩和のため、検査に続けて手術を受けることにした。できる限りのことをしてくださいました。手術成功、術後の経過も良好。しばらくの入院を経て退院となった。先生、動物看護師さん、病院にはお世話になったし、ビオラも頑張った。退院した日、家に帰る前に立ち寄った公園。

「また走ろうね」

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余命宣告

「余命は1ヵ月〜3ヵ月」先生が告げた。
えっ、そんなに短いの???
でもだからといって、わからない。命のことはわからない。転移と再発は避けられないけど、でもわからない。私は軽いパニックで、怒りや逃避という感覚もあるし、なんとも表現できない感じでした。

リハビリ生活

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京都府木津川市の運動場にて

たくさん食べて、眠る。リハビリのメニューを行い、休む。日光浴する。たくさん食べる。そんな日々が始まりました。ご飯の量と内容も見直し、消化器系に問題のなかったビオラは、よく食べて体重も増えました。

立つことも歩くこともできなくなっていたビオラが
少しづつ神経支配を取り戻し、すなわち筋肉への神経支配を取り戻すプロセス。筋肉って電気的な信号で支配されてるんだなあ。立ち、歩けるってすごいことなのだととつくづく思う。

犬座の姿勢も取れなかったのが、できるようになった。
一瞬だけ立位を保つことができたのが、立位の持続ができるようになった。ついには足を運ぶことができるようになり、歩いたのです!

大地に足をつけて立つ。動く。

ああ、よかった。
ほんとうに、よかった。

上昇、そしてピークと下降

10月15日
その瞬間、ピークを過ぎたことを
はっきりと認識した。

後肢の筋肉の動かし方、微かなふらつき、肛門括約筋の緩み、尻尾の曲がり具合、表情、筋肉の緊張。回復を続けてきたけれど、もう違った。

ビオラは珍しく、家の北側も東側もぐるりと回って歩いた。確認するかのように、お別れするかのように。以前はぐるぐると走っていたけど、歩行が不自由になってからは、半分までした歩かなかったのに。お別れしているのだと理解しました。

時間がない!!!
必死で残りの時間を過ごそうとした。


日々

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介護とターミナルケア

この言葉はしっくりこないけど、たぶんそういうことになる。

再び、後肢が思うように動かなくなってきた時、ビオラは両方の後ろ脚を隅から隅まで丹念に舐めていた。そうするビオラに「ビオラセラピーだね〜、ビオラ先生」と話しかけた。脚の付け根から、外側も内側も、足の指も、指の間も、全部全部舐め続けた。本当に治るかもしれないとも思いたくて、祈った。

痛み止め :
リリカとプレビコックス。作用機序の異なる痛み止めとのことで、大変お世話になりました。徐々に量と回数を増やしながらの緩和ケア。本当はまだ、リリカの量を増やせたのだけど、腫瘍の方が速くて強かったなあ。

ホメオパシー:
獣医師でホメオパスという先生に、ご指導と処方をいただきました。弱っているビオラに、チンクチャーの代謝や解毒へエネルギーを使わせたくないので、メインのコンビネーションボトル以外は、砂糖玉レメディーを使用。将来的には血管が破れて貧血をおこすかもいうことで、その場合にはArn.200C ひたすらリピートする。などなど。

術後1ヶ月半のとき、エコーの検査を受け、脾臓にも肝臓にも転移がみられなかった。血液が豊富な臓器に転移すると聞いていたので、ホメオパシーよく効いていたのだろうなあと思う。呼吸音にさほどの問題は出てなかったので、肺への転移も遅かったようで。

血管の強化レメディーもとっていたせいか、貧血は数回しかおこしませんでした。

ホメオパシーは術後の回復も助けてくれました。「大きな手術のあとに、体重が増える子は少ないんですよ!ビオラちゃん素晴らしいです!」とほめていただきました。日に日に回復する様子はすごかった。

血管肉腫と、病理の結果が出た時点で、余命1〜3ヶ月と宣告されました。回復し、穏やかに過ごすことができ、血管肉腫の転移が遅まったこともホメオパシー助けてくれたと思う。

ホメオパシーとフラワーエッセンスと西洋薬みんなありがとう


フラワーエッセンス : 
「犬は目がなくなろうと、脚を失おうと、それもすんなり受け入れて生きるから大丈夫なんだよ。ただ在る、ことができる素晴らしい存在。」というアドバイスもあったのだけど、私はビオラにフラワーエッセンスを贈りたかったので、動物に敬意と愛情の深い先生にお願いをして、ビオラにトリートメントボトルを作っていただいたのでした。先生の言葉です ” 寒いお山で、古くから人と一緒に猟をしたり、人を護ってくれている、賢くて優美な犬種なんだね。”

ビオラの遥かなるルーツに想いを馳せたとき、
散歩道で遠くの音に耳を澄ませじっと見る眼差しに、サイトハウンド(視覚型狩猟犬)の姿を見、吠える姿に人を護ってきた歴史を見た。ショーという華やかな側面も持ちながらも、古くは野山を駆けていたのだ。

ビオラはずっとのほほんと穏やかな表情で、のんびりと過ごしました。明るさや喜びと繋がっていられたのはエッセンスのサポートのおかげだと思う。
歩けないのに、早く早く車から降りる!とワクワクしたり、意思表示を最後まではっきりとしたり、飼い主へのまなざしは、ずっとビオラでした。

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愛しさが深まる

生活の中でのかかわりのすべてが愛しくてたまらなくて

歩けなくても
全介助が必要でも
かわいさは変わらない
そういう気持ちも知りました。

おむつを替え、おしっこうんちのお世話をし、お風呂に入れ、ご飯を食べさせる。
おしっこが出れば、ああよかったと思い、ぱくぱく食べると、ああよかったと思う。食べて、排泄して、眠る。日光浴をする。そんな生活の中には、今まで知らなかった優しさと感触に満ちていました。こんなお世話をさせてもらったからこそ知った世界。カーペットにこぼれたおしっこの滴さえ愛しくて。

次の段階へ

転移再発、痛みが出た時は、次の段階に移らねばならない。
正確には、ビオラは基本的には痛いので「痛み止めが効かなくなった時」がその時だと覚悟はしていたつもりだった。

でも「その時」は突然やってきた。今日も美味しそうにたくさんご飯を食べていたのに。もうしばらく一緒にいられると思っていたのに。

安楽死

この記事の冒頭に書いたようなことでした。

ターミナルケアとは死を迎えるステージ
のはずなのに、つい、こんな日々がまだしばらく続くと思っていた。

痛み止めは本当にありがたく、ビオラは消化器系の問題がなかっただけにご飯は美味しく食べられた。

「痛みを消す」というのは必要かつありがたいことで、しかし、痛み止めをとり続けるのはすでに不自然である。食べなくなり飲まなくなり枯れるようにクローズしていくというような自然な死にかたは難しかったのかもしれない。

少しずつ弱くなっているのは感じていた。最近では急にコート(毛)に力がなくなった。ビオラに静けさが増していた。それでもなお一緒に居たいと思ってしまうものなのだなあ。でも、手術を受け、もうすこしの時間をいただいたことは本当にありがたかった。

安楽死の処置に入る前、
泣き崩れ抱き抱えながら
オオシマザクラとペアのフラワーエッセンスをビオラのお口に入れ、御身体のまわりにオオシマザクラをスプレーし、ペアを垂らし、
お口にArs.10Mを一粒入れた。

ビオラの魂は、かろやかに虹の橋を渡ってくれたかなあ。ごめんなさい。ううん、ありがとう、ありがとう、来てくれて本当にありがとう。


虹の橋を渡った

安楽死でもそんな表現して良いのかな
でもそう言うことにしようと思う。
ビオラ 10歳1ヶ月 ありがとう。

「お花とビオラ」
火葬の日のことを書きました
https://note.com/yumi_asada/n/n3f6720ff3860

ビオラちゃんに似合うと思って、と贈ってくださったお花。ありがとう。
花の生命力にハッとしました。色と形と香りが慰めてくれました。いつでもお花は好きだけど、心が辛く悲しく張り裂けそうな時は特に響くのですね。悲しみの時に、バラ科とキク科は良いなあ。ピンク、緑、白、紫、良いなあ。開きかけだった薔薇が咲いてきました。

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