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片付け好きなうちの母親の話

子供の頃、家の中は常に整っていたんです。
床置きの記憶はありません。
要不要の判断がハッキリしていて
自分が要らないと思うモノは私のモノであってもすぐに処分していました。

中高卒業するたびに
気づけば制服が見当たらない。
カバンも靴も‼︎
当時は処分されていて少し寂しい気持ちにもなりましたが、目の前から無くなったモノなので特段気にすることもなく過ぎ去ったって感じです。
たぶん残っていれば、もしかしたら自分ではなかなか処分出来ずに持ったままではないかと思います。
それはそれで困っていたと思うんですけどね。
(私も要不要の判断は早いですけど、思い出のモノは多少判断が鈍ります笑)

今では年に数回顔を合わせる程度で疎遠になっていますが
まぁ唯一そこだけ尊敬出来るところかな。

なので、私も子供の頃はモノを床に置くことはなく
モノの定位置がハッキリしていて
そのモノを人に触られるのが嫌いな子でした。
1人っ子なので通常触られることはなかったのですが、たまに母親の友達の子供が来たときはもう大変。
(触るなよ‼︎)って心の中で祈っていたものです笑

母親からすれば
そんな私に対して常に『片付けしなさい‼︎』と
言っていました。
当時の私の片付けはまだまだ母親のレベルには達していなかった様ですね。

でもつい最近、判明したことが‼︎
片付けをしていた私になぜ片付けしなさいって言い続けていたのか?
そのゴールの違いを目の当たりにすることがありました。
親子関係45年にして判明

レベルと言うより
ゴールが違うだったんです。
同じゴールではなかったと言うこと。

母親は『見えなくしたい』人
よくインスタ等でアップされている
引出しやボックスを使ってシンデレラフィットの方法
中身が見えないことを重要視

対して私は『見えていてもいい』人
シンデレラフィットも憧れるけど誰が見てもどこにあるのかわかりやすく
なんなら扉や蓋はいらないオープンな方法
誰もが元の位置に戻せることを重要視

そう言えば
学校から帰ってきて脱いだ制服をハンガーにかけて自分の定位置に吊っていたら
(出入口等特に邪魔になる様な場所ではありません)
片付けなさい‼︎って言っていました。
今思えば、母親的には洋服タンスに入れてほしかったんでしょうね。

人それぞれ片付けのゴールが違う。
家族で住んでいるなら話合って協力が必要。

だから、家族であっても話合い擦り合わせ協力をしないと家はスッキリ維持は出来ません‼︎
当時、お互いにそれがわかっていれば
『片付けしなさい‼︎』と言われる日々は無くなっていたと思います。

その母親ももう60歳半ば
今でも家では無駄がなく
自分が使うモノ、必要なモノしかありません。

私も子供達が巣立ったあとの目指すところは
必要なモノのみに囲まれて過ごせる家と思っています。

※母親宅の様子をインスタにアップしています。
 もしよろしければ覗いてみてください。

長々と私の頭の中にお付き合いいただきありがとうございました。

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