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癌で逝った友

中学で同じクラス、節目節目で交流し、60年近く。
写真は、修学旅行のでの二人。
中学2年で父親を亡くした。
お母さんと彼女にはたぶん苦労があっただろう。幼い妹がいた。
夫の理解があり、祖母と母親の介護を長くした。
愚痴は聞いていない。彼女の介護生活から多くを学んだ。

2021年 春に直腸がん手術 人工肛門になった
再発防止の抗がん剤
肺に小さな転移を発見、抗がん剤
2023年 秋に他界

「yumiちゃんは、抗がん剤やらない方が良いと思っているよね。」
「うん」
手術後に会った時、たったひとこと。癌についてその続きは話さなかった。

手術は(手術法の選択肢はあったが)仕方がなかった。

自宅近くの病院は癌では癌研以外では有名な病院。
セカンドオピニオンを嫌う自信満々な医師。
遠くの病院では家族に負担をかけると思っている。
直ってほしいと思い、放置療法なんて思いもつかない家族。
抗がん剤で戦う。
彼女の心を、家族の心を、違う情報で乱すことはできなかった。

痛くて水を触れない
  皮膚が薄くなった?もちろん彼女には言わない。馬油を勧める。
「吐き気も無く、副作用軽いのよ」
  ステロイドで副作用を抑えている?もちろん彼女には言わない。
  頼まれた手編みの「髪隠し帽子」をどんどん編んで届けた。



医師は痛いはずはないと言うが、手術跡周辺が痛みペインクリニックへ通う
外出ほとんどしなくなった

  再発防止の抗がん剤はともかく
  小さな小さな肺の転移がんを得意そうに見つけた名医!
  それが大きくなるのに何年も何年もかかるのに。

抗がん剤が彼女の命を縮めたと私は思う。
彼女は家族の善意のがんと闘ってほしいという気持ちを受け入れていた。
  長生きだけが幸せでないと、思う。
  長生きだけが幸せでないと、思う。

半年以上たった今頃になって
なんだか、悲しくなってきている。
もっと何かできなかったのか。
コロナのせいもある。
抗がん剤を使っていることが、わだかまりになったのかもしれない。

朝亡くなったと、その日に娘さんから、彼女のLINEを通して連絡あった。
その夜、会いに行った。ご主人と娘さん二人、覚悟をされていたと思う。
お別れはその時にした。

通夜に行った。寺の庭から焼香する形式だった。もう一度会えなかった。
告別式に行かなかった。大事な担当者会議があった!
  なにが大事だったんだ、なにが大事だったんだ

どんなお葬式にしたかったの?
  お通夜でお別れできない人が、いっぱい寺の庭にいたよ。
  今の時代に、そんな形があるんだ。無くはないらしい。
  お葬式のことなんか、生きている時に話せなかったのだろう。
  癌と闘って生きることを目指しているんだもん。
  もうあきらめていたのかな。それも分からない。
  癌と闘わず、ゆっくり死に向かう準備が出来たら話す時間もあったろう
  亡くなる前数か月、入院が続いた。
  施すすべが無くなって、病院から自宅に帰って二日後に亡くなった。

和裁学校の友も逝った

6月22日に2か月前に亡くなった和裁学校の同級生の墓参りに行く予定だ。私30歳、高校卒業時に入学した11歳年下の仲間たち。
亡くなる寸前の可愛らしい笑顔の写真がある。
抗がん剤を使わず、死を受け入れていると、ほんとに最後まで思い出作りが出来たんだ。このことについては、お墓参りのあとで書くので良かったら読んでください。 

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