見出し画像

あらゆる悩みの本質は自分の内側にあり


この数ヶ月間に
数年分のネガティブと
捉えがちな感情が

沸騰したお湯のように
ポコポコと湧き上がり、

それをとにかく
味わい尽くした気がする。


自分が自分では
なくなってしまったような、
そんな感覚がする。


心を無くす、と書いて
「忙しい」と読むのは、文字通り。


今思えば、何かに憑依されてた?
そんな風にもおもってしまう。。


今まで、本質的な
自分自身の心の内側をみずに
(というか、向き合えず、逃げていた)

外にばかり向いていたベクトル。

とにかく突っ走ってきた私。



ここにきてやっと立ち止まる。

すこし長めのお盆休みを挟み
現実と自分と向き合い

心赴くままに過ごしました。



わたしなりの
がんばらないをがんばっている。


日々たくさんの方の
やさしさにも触れながら


愛と感謝と自信の水が
カラカラに乾いていた
心にそそがれていく。

次第に心は潤い、癒され
また前を向けるようになってきた。




お盆休みが明けて、
日常が戻ったら


また忙しさに飲み込まれ
自分が自分では
なくなってしまうような気がして

とても不安になり、怖くなった。


そうならないために、

"余裕"をキーワードに

まずは1日、1日、
大事に今週を過ごしました。

ありとあらゆる
ちいさな習慣を見直した。


それはコレといった
大きな覚悟をもったわけでもなく、

ただ、何となく、
無意識に近いレベルで
取り入れることができていました。

そんな自分にも驚いている。



その中のいくつかをご紹介。


◼︎朝は30分〜1時間、
はやく起きた

◼︎目が覚めてすぐに
スマホの画面をみて
時間を溶かすのをやめた


やめた代わりに、
目が覚めたら


まずはいつもと変わらない、
新しい1日がやってきたことに
じっくりと感謝する。


◼︎すぐに起きて
家中の窓を開けて
空気を入れ替え

白湯を沸かし

ベランダに出て
じっくり自然を感じながら
ゆっくり白湯を飲む


◼︎夕食後の食器は放置せず
すぐに洗い、
キッチン周りを片付けて
シンクもその都度磨き、
布巾で拭きあげる。


そのほかにも
小掃除の充実、
内面と向き合う手帳時間。


やろう、やりたい、
改善したい、と

思っていた
ささやかなことを
すぐにやる練習。


以前とは違った様々な習慣。

こうして失いつつあった
自己肯定感を

ちいさな"できた"を重ねて
再起する自信に変えていく。


勤務中も

焦ってきたら、

焦らなくても、大丈夫と
心の中で自分に語りかけた。


焦らなくても、
イライラしなくても、

きちんとタスクはできている。

きちんとその日のミッションは
終えられる。


過ぎた1日の軌跡をみれば

なぁーんだ、
大丈夫じゃん。

躍起になってやらなくても、
大丈夫だった。と思えた。






職場の繁忙期も
幾分落ち着き、


小忙しい、という感じで
みんなにも心の余裕が
生まれているのがわかった。


何より、もがきながら
感情的にもなりながら

思い切って行動してきたことが
すこしずつ功を奏しはじめ


わたし自身が以前のわたし、
(心地よい自分)を
取り戻せてきたのを感じている。


目には見えてなかったけど、
すこしずつ変わり始めている。





心や時間の「余裕」は
意図的に作らないと生まれない。


「時間」に「使われる」のではなく
時間を「使う」側になる。

そして本質的な自分の弱さを
認め受け入れ、

己が作り出した現実や
悩みと向き合える心持ちになれた。


粛々と内面と向き合っています。




思考することが突起している
思考女子なわたし。

どこか、夢みる夢子状態だったけど


夢を現実にしていくには
きちんと必要なステップを踏むこと。


そのためには

目を逸らさずに
嫌なことも、苦手なことも、
当然、やるのだ。


思考ばかりぐるぐるせずに

「自分」をちゃんとみることにした。


自分にできないことは
何も起こらない。


乗り越えられるから、
やってくる。




あらゆる悩みの本質は、
きちんと向き合うまで

永遠と壁となって目の前に現れる。


例えるなら

職場に嫌な人が居て苦痛だから
その仕事を辞めたのに

また新しい職場でも
嫌な人がいて苦痛で、

もうすでに辞めたい…

なんていう場合。


その"嫌な人"との
上手な付き合い方を
模索して、

すこしでも
向き合うことをしたら


何か見方が変わり
心境も悩みからも

解放されるかもしれない。



逃げてばかりいても、

結局はいろんな形となって
向き合うことになっている。

それはきっと今世で与えられた
ミッション。



不器用でも向き合おうと
もがいているわたし。


きっと少し先の未来のわたしは
あらゆるお悩みから解放されて、
軽やかに生きている。


あのとき、なんであんなに思い詰めて
いたんだろう、

あのときその場しのぎにせず
逃げずにきちんと
向き合うことをしてよかった、


きっと、そんな風に思っている。


現に、今までもそうして
生きてきた。


命をもぎ取られるわけでもないし
すべてはなんとかなるように
なっている。

喉元過ぎれば熱さも忘れる。





いよいよ9月も目前。
ことしもあと4ヶ月。


しっかり内側をみつめて

来年の軽やかな流れに
乗っていきたいな



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?