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男を追いかけて沖縄に移住したら、軟禁されて一生涯の仕事に巡り会えた話


なんちゅータイトルだろう。だけどこれから書こうとしていることを要約したら、こうなってしまった。

それもこれも、noteの #あの失敗があったから  というハッシュタグを見つけて、どうしても私の失敗を書いてみたくなったのである。

これから書く話は思い出しただけで恥ずかしい話なのだけれど、もう少し大人だったら、もしくは賢かったら絶対にしないだろうことをしてしまう馬鹿な自分のおかげで得たものは計り知れないと思っているので、勇気を出して書くことにする。

どうか、あの男にだけは届きませんように。

今とは全然違う生き方をしていた6年前

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私は今、フリーランスのライター・Web編集者として仕事をしているが、以前はまったく違う仕事をしていた。ざっくり振り返ると、一番長いのはエステティシャン、その次にセラピスト、自宅サロンをちょっとだけやったり、スナックでバイトしたり、訳あってすこしだけ派遣会社の社長をやったこともあるし、魚市場で朝4時からバイトしてた時期もある。

そもそも私の人生の選択肢に「ライター」はなかった。20代後半になるまで、PCの電源の入れ方すら知らなかったのである。文章は好きだったのでガラケーでちまちまとブログを書いたりはしていたものの、どこかに出勤して、へとへとになるまで働くのが「仕事」だと思っていた。

そんな価値観を見直さざるを得なくなったのが26歳くらいの時。心身に不調をきたし、突発性難聴を拗らせてまっすぐ歩けなくなってしまった。3年間勤めたエステサロンを退社し、一度業界から離れる決意をした。

当然のごとく、何をすればいいのか分からなかった。土日も休まず接客業に勤しんでいたので、世間のことも全然知らなかったし、携帯だってガラケーがやっとiPhoneになったばかりだった。ググるスキルもない。突然世に放たれた野生児である。

まずは時代についていこうと思い(この発想自体、昭和である)PCを学ぶことにした。PC教室を探している最中、友人がWebデザインの学校に行くというので、便乗して一緒にWebデザインの専門学校に入ることにした。  

この選択に、PCリテラシーをお持ちの方は疑問に思うだろう。今思えば本当にアホとしか言いようがないのだけれど、当時の私はPC教室もWebデザインの学校も同じだと考えていて、どうせ学ぶならExcelとかよりもデザインかいいだろうと思ったのである。学校の授業で「数学」か「美術」かを選ぶような感覚でWebデザインの学校に通うことにした。(本当にアホです)


結果、当然PC初心者が学べるような内容ではなく、その学校での半年間は控えめに言って地獄だった。卒業制作を作るときは5回くらい泣いたし、1回吐いたし、半年で7キロ痩せた。

私が半年間で学んだのは、この世には圧倒的に自分には不向きな職業があるということだった。「コーディングだけは2度としない」と誓った。これがひとつめの失敗。授業料は100万くらい。高くついた。

だけどその半年間で収穫はあった。「クラウドワークス」という初心者スキルでも練習しながらお金をいただけるサービスがあると知ったことだ。(今はプロも仕事している場だと認識しているけれど、当時先生からはそう教わった)

卒業制作の練習にどうだということで教えてくれたのだが、私はそこで、以前から好きだった文章を書くという趣味をはじめた。幸い、いきなりハイレベルなPC教室に通ったおかげで、PC教室にスキルは半年で格段に上がっていたのだった。

クラウドワークスで稼いだ金額は微々たるものだったが、肉体労働(?)こそ労働と考えていた私は、文章でお金を貰えるというのは衝撃的で嬉しかった。とはいえ安価な仕事だからできるのだろうと考え、あくまでお小遣い稼ぎ程度で活用した。

突然の沖縄旅行

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吐いたり痩せたりしながらも無事合格し、絶妙なタイミングで友人から沖縄旅行に誘われた。1ヶ月の長期ステイである。彼女はずっと沖縄移住を夢見ていたらしく、視察がてら長期で行きたいとのことだった。1ヶ月3万円で住める宿があるらしい。特にやりたいこともなかったし、なにより死ぬ思いで学校を卒業した自分を慰めたくて、行くことにした。

周りからは「26歳にもなって現実逃避」「結婚しろ」「なんのための専門学校」とか色々言われたけれど、私と彼女はその言葉と発言者たちに中指を立てて沖縄に向かった。

沖縄で過ごした1ヶ月は濃厚で、それなりに友達もできたし、なぜか仲良くなった居酒屋でバイトをしたりもした。結局働かずに過ごすのは無理な性分なのである。

驚くほどすんなりと馴染めたことで、沖縄に住みたいという気持ちは芽生えたものの、住むとなるとまた別だよなぁとすんなり東京に帰った。友人も同じ選択だった。

帰ったのだけれど、東京に帰って電車に乗った瞬間「もう住めない」と思った。本当に確信めいた感覚だったので、「もう住むのをやめよう」と決めた。

向いてなかった都会の暮らし

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もともと、向いてなかったのだと思う。香川県の田舎町出身の私には、満員電車も都会特有のストレスを帯びた人間と接することも、無理だったのだ。きっとずっと、無理をしていたのだ。沖縄じゃなくても、田舎に1ヶ月いたらそう感じたに違いない。

ちょうど、香川の友人が店を出すので手伝って欲しいと連絡があったので、もう帰ってしまおうと思った。そうだ、どうせなら沖縄にもう一度遊びに行ってから、香川に帰ろう。なんとなく東京から地元に戻ってしまったら、もうどこにも行けない気がした。だから沖縄に1週間だけ遊びに行こうと思ったのである。

私は県外移住生活の区切りとして、1週間沖縄に遊びに行った。そして前回の沖縄旅行のときに仲良くなった友人に連絡をとり、飲みにいったり観光したりした。

で、長くなるのでいろいろ端折って結論だけ書くのだが、前回の沖縄旅行の時から「かっこいい」と思っていたダイバーと、色んな勢いで付き合うことになった。

周囲からは「おい!」の嵐だったが、そもそも私は沖縄の男が好みだ。顔の濃さと方言のかわいさのギャップにやられて、短期間で恋心は盛り上がった。結局沖縄1週間の旅は1ヶ月に伸び、そのまま男の家に転がり込む形で移住することになった。

沖縄移住と軟禁生活

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今でこそ「お前は最悪の男だった」と本人を前にして言えるほど友達なのだけれど、当時はストレスで禁煙をやめてしまったくらい、沖縄に移住して半年間は辛い日々となった。

彼は驚くほど束縛が激しかった。もともと1人で沖縄旅行する女=軽いという印象があったようで(なら付き合うなと思う)、荷物をまとめて彼の家に住み始めた途端、ひどい束縛に合う羽目になった。

彼は基本的にいいやつなのだが、恋愛相手に対してだけとても厄介だった。飲みにいくときは彼が必ずついてきたし、彼の友達と仲良く喋っているといきなり不機嫌になってスマホを窓から投げ捨てられたりした。

束縛は日を追うごとにエスカレートし、ついには仕事(当時は居酒屋のバイト)か彼と2人きりで飲む以外は、ほとんど家から出してもらえなくなってしまった。せっかく沖縄に来たのに!と思ったけれど、当時は惚れきっていたので、信じてもらうために頑張ろうと思っていた。相手も相手だけど、私もなかなかのアホである。

家でじっとしていても暇なので、私は思い出したようにクラウドワークスを開き、文章を書く仕事を再開した。

それしかやることがないと、上達するのも早いものだ。徐々にスカウトされたり、努力が必要な案件に挑戦したりするうちに、みるみるライティングスキルが上がっていった。私はどんどん楽しくなり、スキルアップを目指して高単価(当時の私にとって)案件にも積極的に応募するようになった。

文章を書くのが楽しくて楽しくて、気付けば私は文章を書くことを本業にしたいと思うようになった。

夢を持つと、束縛の激しい男と一緒にいるのは苦痛になる。ちょうどそのタイミングで彼に浮気されてしまったため、私はすぐに別れを突き付けた。浮気を武器に、当時お金がなかった私をしばらく家に置かせてもらうことと、生活の面倒を見てもらうことの交渉付きだ。

私は束縛するのに浮気した男に笑い、彼は私が突き付けた条件の厚かましさに笑い、そのタイミングで彼とは友達になった。彼氏としては最悪だったけど、友達としての相性はどうやら最高で、それから家が見つかるまでの暮らしはずっと楽しかった。

そんなこんなで、束縛を機に文章を頑張ってみたら自信がついた私は、文章で仕事をする、というこれまで夢過ぎて無色だった案件に現実という色を塗り始めていた。

その後は取材などにも挑戦したのち、編集を学ぶために沖縄ではそこそこ有名な自社メディアの会社に就職した。そこで編集長やらプロジェクトリーダーなども経験させてもらい、無事フリーランスになったのだった。

人生はわからないから面白い

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PCの勉強ができると勘違いしてWebデザインの学校に行ったことも、衝動で沖縄に行ったことも、束縛男と付き合ったことも、その瞬間瞬間には「失敗だ」「まじで勘弁してよ私...」と自分のアホさを呪ったけれど、そのすべてが天職につながっているから人生はわからない。

正直、今思い出してもアホすぎてとても恥ずかしいので、胸を張って「失敗は成功のもとだ」なんて言えはしないけれど、アホな自分がいなければ、こんなにも文章で頑張れることや、こんなにも文章を書きたがっていたことに一生気づかなかっただろう。体を動かしてこそ仕事だと思いながら、人生を終えていたのではないだろうか。

その後、あの束縛男はその時の浮気相手と結婚し、私も就職した会社で出会った静岡出身の男と結婚した。今は仕事に理解のある夫と楽しく暮らし、仕事も私生活も充実した日々を送っている。すべては繋がっている。


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