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結果を出す書評ライターは「結果を出す書き方」を知っている

わたしは書評が好きだ。

わたしにとって「書評」と「あとがき」は完全に読書の一部となっている。

読書系のムック誌はだいたい見かけるたびに購入しているし、Amazonのレビューに関しては、購入前はもちろん購入後も見て他人と自分の感想を照らし合わせてニヤニヤする(本の話できる友達いないだけか)。憧れのさとゆみさんのコラム「本という贅沢」は可能な限り毎週水曜の更新に合わせてチェックしている。

もちろん読んでて楽しい文章は、自分もうまくなりたいと思うのがフリーライターの性。そんなことを考えてるタイミングでAmazonがレコメンドでこちらを提案してきた。これは買っちゃうでしょう。Amazonはいつも、うまい。

もともと、著者の印南敦史さんは東洋経済オンラインでフォローしている程度にファンだったのだけど、経歴を見たら改めてすごい。

 書評を出すたびAmazonランキングが急上昇する人気の書評家である。

記事のUUやPVを上げるのは、それなりにテクニックだ。だけど読者を購入まで引っ張るのは、もちろんタイトルの引きの強さなどテクニックもあると思うけど、文章のうまさが圧倒的なのだと思う。

こちらを読んで、あらためて書評はある種の「接客業」のような側面があるのだと知った。ロジカルに書評を説明する章もあれば、愛情をもって仕事に向かう姿も見えた。ビジネスにはパッションとロジックの両方が必要だと昔誰かから教わったが、まさにそれらがまとまっていた。

主に指南されていたのは以下について。

 ・書評の仕事について
・書評のテクニックについて
・本の読み方について
・本の選び方について
・書くことについて
・仕事との関わり方について

正直、書評という仕事に興味があり手にとったけれど、これは書評に携わらないライター業の人にもおすすめしたいなと思った。

書評本がフリーライターにおすすめな理由

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わたしだけかもしれないが、異業種の人に「フリーライター」を名乗ると「すべての"書く”専門家だと思われてしまうこと」が多々ある。とくに飲みの場だったりすると、最初から最後まで「小説家」と呼ばれて終えることもしばしば。

書く仕事から遠い場所で仕事をしている人にとっては、取材ライターもSEOライターもコラムニストもブロガーも小説家もすべて一緒に見えるだろうが、実はそれぞれに能力が全然、全く、確実に、驚くほどに、違う。断言できるが、わたしに小説は書けない。

だから同じ「書く」仕事でありながら、自分とは違った世界で有償の文章を書く人が持つ「目線」はとても貴重だと思う。

たとえば、本に書かれてあった印南さんのこの目線に注目したい。

「この本、おもしろいなぁ。どうやったらこういう発想が生まれるんだろう」
「この人バカじゃないの?けどそんなところがたまらなく好きだ」
たとえばこんなことを感じさせてくれる本を書く人は、やはりそのバックグラウンドにある人生、あるいはそこで培われた人間性に魅力があるのです。

 取材ライターとしてわたしが心がけている(というか勝手にそうなっている)ことのひとつに、目の前の話に惹かれ、目の前の人やその団体の行動に惚れ込む姿勢がある。

目の前の人や話や活動に対して、いちいち感情を揺らし、そのひとつひとつに言葉をつけたり、つけなかったりしながら「書いて」いくのだけど、なるほど書評においても、人間への興味から生まれる文章があるのだと嬉しく思った。

ちょっとドラマの話(ネタバレ嫌な方は飛ばしてね)

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話が逸れるが、今期ずっと楽しく観ていた「書けないッ!?〜脚本家 吉丸圭佑の筋書きのない生活〜」ドラマの最終回で、仕事のやり方について深く考えさせられたシーンがあった。(※ネタバレあります)

この物語は、ひょんなことがきっかけで連ドラの脚本を書くことになった売れない脚本家が、毎度納期ギリギリ・わがままな人気俳優Yの意見に振り回される・何度も脚本の書き直しを命じられるという、つまり炎上案件をコミカルに描いたドラマだった。

最終話までの間、何度も何度も脚本家は俳優やプロデューサーに振り回されまくるのだが、最終回の前の回のみ、プロぢデューサーの方針でベテランに脚本を任せることになった。ベテラン脚本家は、ぼんやりした要望をすべて吸い上げ、最終回がどう転んでもまとまるような柔軟性ある脚本をたった2日で完璧に仕上げてきた。これをみて主人公は若干凹む(わかる)。

プロってすげーな、俺ほんとに駄目だな、みたいな気持ちになるのだけど、その脚本をみた人気俳優Yが、なんと突然家にやってきた!そしてこう言う。「あなたが書かなきゃ駄目だ」と。「あの脚本は駄目だ。どこかで観たような表現ばかりで全然このドラマらしくない。なぜだと思う?愛がないからだ。あなたには愛がある。あなたが書かないと俺はやらない」と。

わたしはそれを見て思った。おそらくベテラン脚本家の方がビジネスとしては正解だ。早く・柔軟に・うまく・それなりに無難な文章を作ることができる人は貴重だ。重宝されるし、やりやすい。現場にとって非常に有り難い。それこそがプロの仕事だと言える。だけど、これはかなり個人的で偏った意見だけれど、演じる人に「愛がある」と言わせる仕事を、わたしは目指したいと思った。

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話は逸れたが、異業種だけど「書く」仕事をする人の愛に触れると勇気が湧く。わくわくする。書く楽しみを再確認できる。再確認できる文章が、本に散りばめられている。

だけど、どれだけ愛があっても、それだけではやっていけないのが仕事だ。むしろわたしがこんな風に影響を受けたドラマだって、タイトルにでかでかと「書けない」と書かれてある。

じゃあスランプはどうやって乗り越えればいいの?それは愛だけじゃ無理っしょ。そのQに対するAもちゃんと本書には用意されている。

いい感じに書こうとしたなら書けなくて当然。でも「書かずにはいられない何か」があるのに書けないのは、細かなところに執着しすぎたか、自身の本当の気持ちをつかみきれていないかだ。

  ああ、この言葉ともう少し早く知り合っておけば・・・と脳裏によぎる記事がいくつか・・・。後悔先に立たずと言うが、やはりどんな仕事においても「お守りになる言葉」というのは必要である。この言葉はきっと、今後わたしの駄目記事を減らす力になるだろう(ありがとうございます)。

そんな感じで、書く仕事の身としてはかなり影響を受けたし、もちろん仕事としての書評テクニックもわかりやすく指南されている。

あと読み切って「おお、なるほど」と思ったのだけど、本の合間合間で紹介されている本を気づけばAmazonでポチしていた(やっぱり本職!)。つまりテクニックをロジカルに説明してくれながらも実践が加わっているので、脳と体感で学ぶことができる本なのである。おすすめ。


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