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「お値下げ」という言葉の下品

以前、プロ奢ラレヤーさんの本を読んで以来、毛嫌いしていたメルカリを愛用している。(きっかけとなった記事はこちら↓)

毛嫌いしていた理由はひとつで、見ず知らずの人に住所を共有したり、金銭のやりとりで揉めるのが嫌だったからだ。「転売」という言葉の響きもあった。だけどプロ奢ラレヤーさんによる「物々交換」という表現や、住所が特定されないことなどを知り、試しにやってみたら割とよくて、もうかれこれ1年以上愛用させていただいている。

で、本人確認がちゃんとされているからか時代なのか、わりとみなさんマナーが良い印象があるのだけれど、ひとつだけここ1年間ずっとモヤモヤしていたことがある。

それは「言葉」だ。メルカリでしか見たことがなく、もんのすごく嫌悪感を感じる言葉がある。それは「お値下げ」という言葉である。

「お値下げいかがでしょうか」の下品

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もしかしたら他でも使われているかもしれないが、はじめてメルカリで見た時は衝撃を受けた。この言葉が私はとても、嫌いである。「お値下げいかがでしょうか」とコメントしてきた人を即ブロックしたいくらい嫌いだ。

なぜそんなに嫌いなのか。「値切る」という品があるとは言えない行為を、あたかも上品な雰囲気に仕立て上げているところだ。卑怯だと思う。これまで世界一嫌いな言葉は「無能」だったけど、それと同じくらい嫌いだ。

職業柄、どうしても言葉の使い方にかなり敏感になってしまうところはある。だけどやっぱり思うのだ。品がない行為や下心を和らげる言葉というのは、いかがなものかと。逆にめちゃくちゃ下品に見えるのは私だけ?

ちなみに、こういう”下品を隠した言いまわし”は世間にたくさんはびこっている。たとえば上野千鶴子さんと鈴木涼美さんの往復書簡『限界から始まる』では、鈴木さんが”援助交際”という言葉について、うまいこと自分を正当化した言葉だと指摘している。たしかに、”援助”しているという”てい”にすることで、やっていることの下劣さの自覚から逃れられていそうな気がする。

つまりメルカリで「お値下げ」を打診する行為は援助交際を持ちかけるおっさんと同じ心なんだよ、とまでは言わないけれど、それくらい私は重く受け止めている。

「値下げ交渉」が悪いわけではない

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ちなみに私は「値下げ交渉」自体が悪いとは思っていない。私だって値下げ交渉をすることも応じることもある。(お値下げという言葉に応じたことは一度もないけれど)

「値段」というのは「売り手の希望価格」だ。だから”これくらいまで下がるなら買いたい”という気持ちを素直に伝えることは悪いことではないと思う。誰だって、無い袖は振れないのだから。(使用済みの商品や受け終わったサービスについて交渉するのは下品だが)

そして大阪に住んでいたこともあるので「ちょっとまけてや〜」の気軽さも知っている。値下げは挨拶みたいなもんや、という友だちだっているし、断られたらそれはそれで別に傷つかない関西人の大雑把さも好きである。というか私はそもそも「お値下げいかがですか」と「ちょっとまけてや」は全くもって別物だと思うのだ。

「ちょっとまけてや」「安ならへん?」という言葉は、可愛げのある”あわよくば”というのが私が受ける印象だ。「下品上等!」「下心全開!」って感じで正直だとも思う。

だけどやっぱり「お値下げいかがですか」は、なんかちょっと上から目線だ。人それぞれって言われたらおしまいなんだけど、その妙な丁寧さと、ちょっとした冷たさ、日本語の使い方の違和感。その全てが無性に癇にさわる。

てかやっぱり「お値下げいかがですか」ってなんやねん。「値段の交渉は可能ですか?」とかじゃ駄目なの?お値下げって、みんないいと思って使ってるの?誰がどんな気持ちで生み出したの?

言葉は自分をつくる

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言葉を使う時、その言葉で自分が何をしようとしているのかを自覚することはとても大事なことだと思う。それがいいことでも、悪いことでも。

この前テレビでアンミカさんが「人は1日に3000回選択をしている」と言っていたけれど、どんな言葉を、何に使うかはとても大事な選択だと私は思うのだ。それは自分の人格として、積み重なってしまうのだから。

ちなみにもし「お値下げ」という言葉についてご意見・異論あればコメント等で教えてください。「そういう考えもあったのか!失礼しました!」となったほうが私としても有り難いので...。

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