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Web編集者の読書癖

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本がないと生きていけない。
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#読書感想文

2021年マイベスト本【エッセイ・対談・小説・歌集】

エッセイが好きだ。対談が好きだ。小説と歌集は、文章の仕事でありながら、文章の仕事から離れさせてくれる文章として好きだ。 2021年は特に多くのエッセイを読んだ年だった。コロナ禍で自粛ばかりで、自分の心に向き合いたかったから。他者の雑談に触れないと、自分について気付く機会がとても減るのだと知ったから。 ということで、2021年読んだ中でも特に面白かった本をまとめて書き記そうと思う。今回はエッセイ、対談・往復書簡、小説、歌集。 ↓ビジネス・自己啓発はこちら。 2022年も

「いい母親になりたい」と思っていたけど

いい母親になりたい。 子を産んで1年と半年、ずっとそう思っていた。 育児は怖い。とても怖いのである。長くて、お金も時間も莫大にかかり、目処がつかず、何が起こるかわからない、人ひとりの人生がかかった、壮大なプロジェクトなのだ。私は母として、この命を幸せに導ける器になりたい。 そしてなるべく間違えたくない。「もしも」も事前に把握しておきたい。 そう思っていたので、書店の目立つところに平積みされていたこの本を見つけた瞬間、私のアンテナが大きく反応した。 正直なところ「どうして

ハッピーでもバッドでもない人生を、ささやかな思い出と生きていく

昔、深夜にどうしようもなく悲しいことがあり、男友だちを呼び出してドライブに連れて行ってもらったことがある。 彼は泣いたり怒ったりする私の話をずっと聞いてくれたあと「俺、町を出ようと思ってるけど、一緒に行くか?」と言った。いつ?と聞くと、今。と言う。きっと何か事情があったのだろう。好きでもない女を連れて行きたいほどの孤独を考えるとノリで行ってあげたい衝動に駆られたが、結局なんとなく断った。20年前の話だ。 そんなたわいもない記憶を思い出したのは、短編小説『夜空に泳ぐチョコレ

美しい女とはどういう存在か。『あちらにいる鬼』を読んで

GW中、見事に梅雨入りしたので朝から晩までずっと本を読んでいた。 読んだのは小説5冊。 知識を得る読書も計画していたけれど、泣いたり笑ったり温かくなったり考え込んだりするうちに、気付けば物語の世界にどっぷりと漬かっていた。(とくに『朝が来る』で嗚咽号泣しすぎて、もはや外出不可能な顔面になったよ)  どれも素晴らしい本ばかりだったのだけれど、なかでも1冊、心が深くえぐられるような衝撃的な小説に出合ってしまった。 『あちらにいる鬼』 書店で出合い、表紙とタイトルに妙に惹

旅はいつまで不要不急か。オードリー若林「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」を読んで

オミクロン株が大爆発している沖縄から「旅」について書くのは少し不謹慎な気がするけれど、それでも今、旅が与えてくれるものをもう一度再確認したい気持ちになった。 オードリー若林さん紀行書「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」を読んだからだ。 この本を購入するのは少しばかり勇気がいった。なぜならきっと旅をしたくなるから。そして今はコロナ禍で、沖縄はまん延防止重点措置の対象県なのである。旅なんてとてもできない。 だけど購入に至ったのは、キューバという国を若林さんがどう見た

私たちはどう死ぬのか。「ネコは言っている、ここで死ぬ定めではないと」を読んで

どうしてもブログで紹介したいのに、どう魅力を説明すればいいのか悩ましい本があった。 こちらだ。 とある個人書店で出会い、なにやら無性に惹かれ、ペラペラと立ち読みをしたらやっぱり無性に惹かれて買った本だった。 この本を購入した時にふと思ったのが「Amazonでこの本に出合うことはなかっただろうし、出合ったとしても買わなかっただろう」という感想。だけど書店で出合えたことに感謝するほどに面白い本だった。 そして読了後「めちゃくちゃ面白かったんだけど、この面白さをどう伝えたら

理想の50歳と光浦靖子さん

私は光浦靖子さんが好きだ。 理由は、母に似ているから。顔も髪型も、眼鏡の形も輪郭も、結構いろいろ似ているのだ。強いていえば、ガテン系の仕事に従事してきた母は、光浦さんよりも少しだけおじさんっぽい。 そんな他人とは思えない光浦靖子さんの書いた本を知ったのは、雑誌ダ・ヴィンチ先月号でのこと。 この号の「女と家族」特集(この特集、ダ・ヴィンチ史上いちばん好き!)に、光浦靖子さんインタビュー記事があり、その中で著書「50歳になりまして」の一部冒頭文が紹介されていた。 それが、

「心の疲れをとる」という言葉に拒否反応がある人へ

正直にいうと、読む気がしなかった。 この本のタイトルだ。 一ヶ月ほど前まで、私は猛烈に疲れていた。何に疲れていたのかは分からないけど、何かに猛烈に疲れ切っていて、何に対しても喜びを見出すことができない状態が続いていた。 といっても昔から浮き沈みは激しい方だったので「あ、久しぶりにきたのね」「まぁコロナもいよいよ長いし、今はきっとあらゆる人がこういう感じなのだろうな」と放置したのだけれど。 ある日、全然眠れずnoteを読み漁っていた深夜4時のこと。ひとつの記事が目に止ま

いい文章を書くために文章術の本を後回しにする私のおすすめ10冊

何度かブログでも書いたけれど、私は文教術の本をほとんど読まない。 正確に言うとライター1年目くらいから読まなくなった。 読まなくなったのは自分の文章に自信が持てるようになったから...というわけではなく、むしろ逆で、どうしてもうまくなりたいから読まなくなったというのが正しい。 文章術の本がためにならないと思っているわけではない。単純に、もっと読むべき本があると思っているのだ。 というのも、いつからか私は「読みやすい文章だね」と言われることが誉め言葉ではなくなった。読み

行き先に迷うすべての人に。現在進行系の人生を描く「ぼくにはこれしかなかった。」を読んで

誰かの人生の「転機」に興味がある。 転機の何がおもしろいって、転機って人生において結構重要なシーンなのに、そのほとんどが「今」その時に転機だと思えてはなくて、むしろ本人にとってはどん底あたりだったりすることが、往々にしてあるということ。 「全裸監督」で黒木香も言ってた。『サインはきっと絶望の近くにある』と。 今日はそんな「転機」についてを実直に、ときに苦しみながら綴られた本『ぼくにはこれしかなかった。』について書きたい。 実は自伝が苦手だった転機に興味があると言いつつ

脚本家・坂元裕二に学ぶ「書く」姿勢

もうね、大好き。ほんとに大好き。脚本家・坂元裕二さんの作品が。 カルテットで大ファンになってからの、今回の大豆田とわ子と三人の元夫でもう坂元愛が爆発してしまって。ここ1ヶ月くらい、緊急事態宣言で多くの取材が延期になったのをいいことに、坂元裕二脚本ドラマを見まくったのでした。 で、ビンジウォッチングだけでは飽き足らず、ついに坂元裕二の集大成感がプンプン漂う本「脚本家 坂元裕二」を購入。 これ実は2018年に初刷が発行されてて、その当時買おうかどうしようか相当迷った一冊だっ

「おいしい」の愉しみかた

「ていねいな暮らし」という言葉の代表格が「ていねいに作られたごはん」だと思う。それは、ていねいな食生活をおくる人から放たれるオーラや出で立ちが物語っているように思う。 職業柄、ていねいにものづくりをしている人や、隅々まで素敵が行き届いたお店を取材することも多々ある。その度に「いいなぁ」「素敵だなぁ」と思うのだけれど、素敵に包まれた取材を終えた夜に、ランチパックのたまごサンドを食べながら原稿を書くのが私という人間だ。 こういうことをするたびに、自分はていねいができないガサツ

読書は買う前からはじまっている。本の外観を楽しむということ

最近、本に対する感度が敏感すぎて、誰か止めてくれと思うほど本を買いまくっている。 今日も2軒の書店に吸い寄せられて(1軒は本当に偶然見つけて)、雑誌含めて計9冊の本を購入してしまった。先日Amazonで6冊の本を注文したばかりなのに。どう考えても買いすぎである。 そして買うたびにまず好きなところをパラパラパラッと読み、一度積む。そういう本が数冊あり、その中から毎日どの本の続きを読むか決めるのだ。まるで女癖の悪い男である。このままでは世のダメ男を批判できなくなってしまいそう

「牧師、閉鎖病棟に入る」を読んで

「ありのままでいい」と語ってきた牧師が、ありのまま生きられない人たちと過ごした閉鎖病棟での2ヶ月。 この帯文にとてつもなく吸い寄せられて、本を買った。こちらの本だ。 読了後すぐには出ない答えが付録のように、わたしの脳内にしっかりと居座っている。しばらくはこのことについて考えることになるのだろう。 正直、ものすごい本だったな...という読後感が強すぎて、少し時間を置いてからブログに書こうかなと思っていた。だけれども、よく見ると発売してまだ1ヶ月も経っていない新しい本という