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おんなのひと 八

 この人は、どうしてごめんなさいが言えないのだろう。騙しておいて、こんな明るいファミレスで「いや、それは悪かったと思ってるよ」って笑いながら言えてしまうのだろう。奥様にも結局、私をあざ笑うことにだけ専念させて、この人はヘラヘラしている。なんなら奥様とも別れてもいいやという。誰が復讐すればいいのだろう。誰かが、この場面で怒らなきゃいけない。ドラマでは、女の人が男の人の顔面に水をかけていた。そうか、このコップの水をかけよう。でも、変な視線を集めるよな。この寒空の下、水をかぶって帰ったら風邪を引くかもしれないし。そんなことを考えながら、目の前のこの関係の無い話をしている展開は、だめだと思った。しかしどうしたものか。結局どうすることもなく、ファミレスを出て、二人で駅に向かっていた。暗くなった川を見たとき、思いついて、私は力づくで男を倒して、男を水の中に沈めた。男は抵抗しないで最後まで笑っているようだった。首筋に食い込んだ指に電気が走った感じがして、ちゃんとこの人を好きだったんだと思った。そうしたら、悲しいような気がした。でも、ほんとはよくわからない。どんな気持ちでいれば正解なのだろうか。
 夜中の川に浮かぶ月を見ながら、私は怒っています、と据え置いた。でも、沈めた男は私がどんな感情でもいいのか、わからないんだし。そもそも生きていても、きっとこの人には泣いても笑っても無意味だった。どんな言葉を言おうと無意味。全く何も伝わらない。この人に、私の発した言葉のひとつも伝わっていなかった。今もこれまでも。こういうとき、人って悲しくなるはずだから、きっと私は悲しい。あとは、裏切られたのだから怒っている。憎んでいる。こうやって、端から見たらこういう感情だと辻褄合うよなあって感情に支配されて生きている。じゃあなんで、私、この人を殺したんだろう。なんだかおかしくなって、笑えてきたから、笑った。

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