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「はじめて」勉強してきたわけを考える
わたしは、いま偏差値で言うと上から数えたほうがいい大学に通っている。
学校の勉強というのは、ほどほどにできたほうだし、努力もしてきた。
でもなんでだろう。
今日、電車の高校生たちが言っていた。
「なんであいつらあんなに勉強できるんだろうね?わけわかんねえ」と。
わたしもわけわかんねえ。んだけど、気になってきた。
わたしはなんで勉強してきたんだろう。
頭のいい大学に行きたいと思ったのは、「自分の選択肢を狭めたくないから」だったが、それは高校になってから思うようになったことで、
自分が勉強をしていた基本はそこじゃないような気がする。
(結果、可能性は広がったかについては否定的に考えているけども)
もともと勉強が好きだったわけでもない。
親が教育ママみたいな感じだったわけでもない。
むしろ親にはほとんど勉強しろと言われたことはない。
やっぱり、親の言葉は影響力大なんだ
でもその数少ないうちのひとつに、友達とけんかをして泣いて帰った日がある。とてもかわいくて運動もできる子で、クラスの中心的存在だった子に言い負かされて、掃除当番を押し付けられたような気がする。
一通り話を聞いた母は、「勉強しなさい」と言われたと思う。
自分がすごい!と思われるなにか才能があったわけじゃないから、努力さえすれば結果の出る勉強で見返してやりなさい、と。
(仲直りしろと言わない笑)
勉強は自分にとって損になることはない。
そのさきで、もっと自分に大切なものができたならそれを優先すればいいだけだから、それまで勉強しなさい。
そのあとはまあ予想通りで、しばらくはクラスでしんどかったけど、わたしはがり勉と思われない感じで勉強していたので、基本的に面と向かった敵は少なくなった。
つまりわたしにとって、勉強は処世術だったのかもしれない。
いま、わたしは勉強して上位の大学に入ることがゴールではないと知っている。必ずしも自分の可能性を広げるわけでもないことも。
結局、人の可能性は一般的には同じくらいなのだ。
自分の能力やスキルにあった範囲内の可能性しかない。
というのも、わたしはとても一般的な人で、周りの目というものがとても気になる。だから選びうる選択肢のなかでめっちゃ下のほうにランク付けされるものは選ばないのだ。
できるだけ上を。
あるいはやりたいことを。これも自分の可能性を把握したうえでのものになる。
具体的に言うと、就活で、わたしのエントリーした職種は総合職のみ。
自分の大学の就職先がほとんどそうだから。受かる可能性はある程度あるわけだ。わざわざ一般職を選んだりしない。
それが普通だから。
友人に〇〇に行くんだよね、と話すとき恥ずかしくないようなところしか選べないのだ。よくも悪くも凡人タイプでしかない自分。
たしかに全然違う道を選ぶ人もいる。まちがいなく。
そのひとも天才なわけじゃないかもしれないけど、一つ言えるのは、とっても意思と覚悟を持っているんだろう。
なんだか少し僻みっぽくなってしまった…
でもとても正直な気持ち。
等身大のわたしはこんなしょうもない感じだ。
でも、いつかやりたいことができるように、チャレンジはし続けたいと思う。いまその一歩は踏み出さないけれど。
何も持たぬわたしですが、全力であなたのサポートを活かした「なにか」をします!いまはわたしが沢山の知識と文化とアイデアと記憶を吸収するために使います!