久しぶりにスナックに行った話
スナックに行ってきた。スナックには今まで何度か行ったことはあるのだが、いつもどこかアウェーである。中に入ってしまえばホームのよう、それがスナックの良さではあるが、入るまでは非常にアウェーである。外からでは中の様子がよく分からない。ガラス張りなら外から中の様子を窺うことができるけれど、大抵のスナックはビルの中にあったりして、ドアで閉ざされている。
久しぶりにスナックに行こうと思ったのは、その日の気分が良かったせいもある。昼間に買わなければと思っていたテレビをようやく買って、勢いづいていた。大きな買い物は人を勢いづかせる。
一軒目は山んというジビエ料理のお店で猪のパテやら鹿のロースと仔牛のリードヴォーの串やらを食べて勢いに乗っていた。
20時を回った位で、まだ帰宅するには早い。そうだ、スナックに行ってみよう。
山んがあるビルには、テナントにたくさんのスナックが入っていた。店を出ればあっちもこっちもスナック。これでは久しぶりにスナックに入ろうと思ったとしても無理がない。
山んにいる間に幾つか目星をつけておいたスナックのひとつに行ってみる。徒歩1~2分の距離。着くと、店のあるビルの前に看板が立っていた。2時間3000円で飲み放題、歌い放題。これはいい。良心的なお店に違いない。そう思って店のある3階までエレベーターであがる。そして店のドアへ近づく。
すると中から客とスナックの店員らしい女性の話す声が聞こえてきた。とても楽しそうで盛り上がっている。近づきながらその声を聞いている内に、どんんどん気持ちが萎えてしまった。
すでに盛り上がっている場所に入っていくというのは、何とも勇気のいるものである。どちらかというと中が静かな方が入りやすい。今現在非常に盛り上がっている場所に一人で入っていくというのは、肩身が狭い気がする。
それに、スナックの女性らしき人の声も気になった。ちょっと濁った銅鑼声のような声。今からこの人と話すのか。何か話したくないな。
気が付くと来た道を引き返してエレベーターに乗り込み、地上に戻っていた。
違う店にしよう。そう思った。
次に目星をつけていたお店はそこから3分ほどの所にあった。ドアに近づく。近づくまでもなく、客と店員の談笑する声が聞こえてきた。かなり盛り上がっている。
盛り上がっているスナックと盛り上がっていないスナックならば当然盛り上がっているスナックの方が当たりの確率が高いはずだが、盛り上がっているスナックに入るのはやっぱり気が引ける。盛り上がっているスナックには自分の為の場所が用意されていない気がしてしまうのである。もしかすると満席かもしれないし、すでに盛り上がっている客たちの視線を浴びるのも何か嫌だ。
気が付くと僕はまたも踵を返し、ビルの外に出ていた。
さてどうしよう。目星をつけていたスナックはもうない。
でもここは盛岡の繁華街。スナックなんて探せば幾らでもある。ググった。冷たい風に吹かれながらスマホをスクロールして、グーグルマップの口コミ評価が高そうなスナックを探す。すると、そこから徒歩3分位の場所に、グーグルマップの口コミ評価4.4のスナックを見つけた。4.4といえばかなりの高評価である。普段からグーグルマップの口コミ評価を参考に居酒屋を探したりしているけれど、4.4といえば相当の名店である。
よしここにしよう。目当てのスナックはキャバクラなんかがひしめいている通りのちょっと先にあった。キャッチの声を振り払い、ビルのエスカレーターに向かう。
そのスナックは、ビルの3階にあった。
店の前は静かである。今までとは違う。中から何か物音はしてくるけれど、人の話し声はしない。
しめた、ここなら落ち着いて話ができそうだ。
そう思いながらドアに近づくと、今度は別の不安が首をもたげてくる。
あれ、ここ本当に営業しているのかな。
グーグルマップ的には営業中になっているけれど、そんなことは当てにはならない。
ただ、中から物音はしてくるので、ままよ、とドアを開けた。
もうこれで3店舗目なのである。これ以上お店選びに時間を使ってしまうと、終電の時間が気になって落ちついて飲んでいられなくなる。
ドアを開けると、カウンター越しに4人位の女性の姿が見えた。ちょっとホッとする。と同時にドキドキした。パッと見、皆そこそこ美人そうだった。
これは、僕が今まで行った経験のあるスナックではないことだった。今まで行ったことのあるスナックのママさんは高齢の女性が多かった。60歳以上は普通で、70代を明らかに超えているママさんもいた。それと比べると、ここのスナックは明らかに年齢層が若かった。
どうぞとカウンターの席を案内され、座る。おしぼりを渡され、システムの説明をされる。
そこで初めて、あ、ヤバい、と思った。あ、ヤバい、ここ高い店だ、と。口コミの評価ばかりに気をとられて、どういう価格帯の店なのか全然気にしていなかった。そこは明らかに高級店の部類のスナックだった。それは女性の年齢層も若めなわけだ。
2時間ただいるだけで5000円以上とられる。そこに自分のドリンク代や女の子のドリンク代は含まれていない、という説明を受ける。
1杯飲んだだけで6000円以上か。早く帰ろうと一瞬思ったけれど、早く帰っても遅く帰ってもセット料金の5000円は取られてしまうので、ある程度長居しないと元は取れない。
とりあえず1番安いビールを頼む。キリン1番絞り。
すぐ目の前には、女性が2人立っていた。1人は40代。美人といっていいが、この中では明らかに1番高齢者である。この人がこのお店のママさんなのだろうか。
そして僕のさらに目の前に座っていた女性は、30代半ばくらいのちょっと近寄りがたい感じのする美女だった。明らかにお金のかかっていそうな、白い肌。でもそれよりも何よりも目に入ってきたのは、大きな胸だった。ぴったりとしたクリーム色のニットのようなものを着ていたので、嫌でも目に入ってしまう。とにかく大きな胸だった。
この2人の女性は、「いただきます」と言って、自分のグラスに何かを注いで、飲み始めた。女の子のドリンク代は5000円には入っていないと言っていた。スナック経験やこういうお店の経験は少なくても何となく分かる。今目の前の女性たちは僕のお金で酒を飲んでいる。1人1000円として、すでに8000円位? それを思うと会話にもいまいち気が乗らなかった。さっきの2時間3000円のお店に入っておけば良かった。こんなお店で胸が大きい女性と話すだけで何で大金を払わないといけないんだ。
話す会話の内容はありきたりだった。去年の8月に盛岡で転勤で来たというと、どこからと聞かれ、秋田からだと答え、でも秋田は5ヶ月しかいなくて十和田には4年いた、みたいな自己紹介的なことを話す。名前を聞かれたので答えると、珍しい、と言われ、目の前の女性がスマホでその名字を検索しだした。
だがそんな話をしている間も僕はずっと落ち着かなかった。目の前の美女の胸がデカい。とにかく目に入ってしまうのである。相手の女性が僕の視線に気が付くとちょっとだけ気まずそうな顔をするが、僕だって見たくて見ている訳ではない。そこにデカい胸があるから。顔をあげると自己主張強めにそこにあるから、ただ見てしまうだけなのである。でも、見ている内にどんどん頭がクラクラしてくる。変な気分になってくる。ビールがなくなる。次は何を飲みますか、と言われる。ハイボールを頼む。
スナックというよりはガールズバーみたいなお店だった。ガールズバーもほとんど行ったことがない。ただ、一度だけ地元千葉のガールズバーに行ったときがそんな感じだった。目の前に入れ替わり立ち替わり女の子が現われて、その度にほとんど勝手にドリンクを飲み出して、その分のドリンク代もかかる。
だが、もう金のことはいい。勉強だと思って今この瞬間を楽しもう。ハイボールを飲みながらいつの間にかそんな考えにシフトしていた。
目の前の女性2人以外にもっと若い明らかに20代の女性もいたのだが、その2人は隣の客にずっと付いていた。その客の一人が今日61歳の誕生日らしく祝われている。61歳の誕生日の常連客に若い女性がつくのは当然だ。それに全然文句はない。
その隣の客がトイレに向かおうとしたときだった。
「あ、今入ってるよ。ママが」
目の前の40代位の女性が言った。
え、この人がママじゃなかったんだ。そう思った。
しばらくするとママが出てきた。カウンターの向こう側に現われて、いらっしゃいませ、と頭を下げてくる。ダークブラウンの長い髪。美人だった。
なるほど、これがママか。僕は大きな胸から目を離して、ママの横顔を盗み見た。美人だった。どこからどう見ても美人だった。30代半ばくらい? 女性の年齢はよく分からない。美人だからそう見えるだけでもう少し上かもしれないし、大人びて見えるだけでもう少し下かもしれない。ひとつだけ分かっていること、それは美人であるということ。
このお店の高評価の理由が分かった。でも美人のママは隣の常連客と楽しそうに喋っている。また別の団体さんも現われて40代のお姉さんはそっちに行ってしまったので、僕の前には胸の大きな女性しかいなかった。すでに酒が回っているので、胸と話しているのか女性と話しているのかよく分からなくなっていた。
胸の大きな女性はあまり話が面白くなかった。ちょっと早いけどそろそろ帰ろう、そう思っていると、いつの間にか美人のママが目の前に立っていた。
「初めてですか、いらっしゃい。いただきます」
そう言って、美人ママは水割りのようなものをまたも勝手に飲み出した。いただきます、ということはこれも僕のお金か。頭がくらくらする。今いったいいくらなんだ。でももう覚悟を決めた。焼酎ソーダ割を追加で注文する。せっかく美人ママと飲めるのだ。今日はとことん飲もう。
美人ママとの会話は楽しかった。それまでの2人とはやっぱりちょっとレベルが違うな、と思った。話しやすい、つい話してしまう。温泉の話になったり、岩手のオススメの場所を色々教えてもらったりして、楽しい時間を過ごした。
終電の時間が近づいていた。胸の大きな女性が、そろそろ電車の時間ですか、と言ってくれて、お会計をすることに。心の準備をするためにトイレに行って戻ってくる。
「12000円です」
そう言われた。
まあそんなもんだよな、と思いながら財布を取り出す。楽しい時間だったけどコスパは悪い。
ママは美人だったし、目の前にずっといた女性の胸は大きかったけれど、1時間半飲んだだけで12000円は高すぎる。12000円もあればどれだけ美味しいものが食べられるだろう。秋田に行って美味しいランチを食べて戻ってきてもお釣りが出る。
もう二度と来ないだろうと思いながら立ち上がる。美人ママともう1人の女性がお見送りに来てくれた。エレベーターを待つ間、美人ママが聞いてきた。
「そのリュック何が入っているの?」
僕のリュックにはたくさんのものが入っている。パソコンだとか、本だとか。気分で読み分けられるようにエッセイ、小説、いろんなジャンルの本が常に4冊くらい入っている。しかもこの日は図書館に行って本を借りた帰りだったので、リュックはいつも以上にパンパンだった。
「本がたくさん入ってるんです。図書館で本を借りたから」
僕はそう答えた。こんな所で馬鹿みたいに飲んでるだけだとは思われたくなかった。
それに対し、美人ママは言った。
「エッチな本じゃなくて?」
美人ママはニコニコした顔で立っていた。
「違いますよ」
僕はすぐに否定した。
「ふふ、分かってる。そういう人じゃないもんね」
エレベーターは閉まり、僕は現実世界に戻った。
飲み過ぎたせいで世界はゆらゆらとして見えた。
終電で間に合う時刻は微妙に過ぎていて、僕は近くにいるタクシーに乗り込んだ。さっきの美人ママの言葉、何かエッチだったな、と思いながら。
もう二度とあのスナックに行くことはないだろう。12000円はとにかく高すぎる。気軽に行くにはとにかく高すぎるのである。
その翌日は二日酔いで、朦朧とした状態で仕事をした。たくさん飲み過ぎた後の罪悪感に駆られ、もう二度とスナックには行かないぞ、と改めて決意を固めた。
けれども、それと同時に美人ママのエレベーター前での言葉が思い出されてならないのである。
「エッチな本じゃなくて?」
あのときの美人ママの微笑み。あの微笑みが、脳裏から今も離れないのである。
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