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育てた好きがいつかの自分を救う

 好きって感情は宝物みたいなものなんだと思う。宝物は大切にしないといけない。だから何かを好きって思ったら、その気持ちは大切にした方がいい。

僕は多分好きなものが多い方だと思う。好きな小説家がいて好きなミュージシャンがいて、好きな映画監督もいる。好きなカフェがあって、好きなビールがあって、好きな街がある。生きれば生きるほどに好きなものが増えていく。だから年を重ねるほどに生きるのは楽になる。ちょっと辛いことがあっても好きなものにアクセスすれば自分を取り戻すことができる。例えば仕事で嫌なことがあって暗い気分で目覚めたとしても、好きなカフェに行き、美味しいコーヒーを飲みながら好きな作家のエッセイでも読めば、いつのまにか気分はマシになっている。

関取花のライブに行った。ライブ会場は仙台のモーツァルトアトリエ。住んでいる盛岡から仙台はもちろん遠いけれど、新幹線に乗れば40分ほどの距離でもある。運よく3連休が取れたので、2泊3日の仙台旅行を計画する。

仙台という街も好きで溢れた街だ。仙台は16、7年ほど前に初めて一人暮らしをした街で、思い出深い。カフェ巡りにはまったのも仙台に来てからだった。仙台には好きなカフェがたくさんある。

仙台旅行2日目の朝、昔好きだったカフェに行くと、今は別のカフェに変わっていた。かつてはミールズという、コンクリート打ちっぱなしの店内にエッジのきいたアート作品が飾られている、オープンキッチンのシックでちょっと尖ったカフェだった。尖っていながらもアーティスティックな雰囲気のあるそのカフェに、16年前何度も足を運んだ。久しぶりに訪れたそのカフェは、建物の作りは変わらないのに、内装が変わっていて全く別のお店になっていた。


HEY

HEYというインスタ映えするドーナッツやお洒落なトーストのプレートを提供するお店になっていた。
ミールズ時代そこまで混んでいる印象はなかったけれど、HEYは混んでいた。最初通りがかったときは店の前に行列ができていて、ちょっと時間をずらしてから行ったら長テーブルの、2席だけ空いている席のひとつに座ることができた。


メープルトーストのプレート

ミールズ時代クールな印象のあった店内は、コンクリート打ちっぱなしにも関わらず壁やそこにかけるアート作品、テーブルや椅子の配置を変えることで、暖かな印象の店に生まれ変わっていた。オープンキッチンは相変らずで、たくさんの従業員が行き交い調理をしたり料理を運んだりしている。

その光景は都会的だなぁと思う、仙台だな、と思った。僕は福島以外の東北の県には住んだことがあるけれど、仙台にあるようなカフェは、仙台以外にはない。もっと言えば、仙台にあるようなカフェは東京にもない。東京にはお洒落なカフェはたくさんあるけれど、お洒落過ぎてどこかよそよそしかったり、席と席の間が狭すぎて落ち着かなかったり、仙台のカフェほど落ち着いて洗練された感じがない。それは16年前からそうだった。仙台からまた地元の千葉に戻り、東京のカフェをたくさん巡ったけれど、仙台のカフェみたいなカフェに出会えることは結局なかった。

だが考えてみるとそれは当然でもある。カフェは街と調和するように作られているものだ。カフェにはその街の空気が流れ込んでいる。仙台のカフェは常に仙台の空気を身に纏っている。高い緑の木々が道路脇に立ち並ぶ、杜の都の空気を身に纏っている。


JAMCAFE

昼下がり、好きだったJAMCAFEで休憩する。昼間なのに薄暗い感じで、テーブルにライトが灯る、そんなカフェ。壁にはアート作品が飾られていて、テーブルには本が少し並んでいたりする、そんなカフェ。本を読み、思いを巡らせる。それだけで満たされていくものがある。

そんな風にすっかり満たされた気分で夕暮れ、カフェモーツァルトアトリエに向かう。モーツァルトアトリエは広瀬川に面し、窓の向こう側に広瀬川を見下ろすことができる素敵なカフェだ。仙台に住んでいた頃最も通って最も好きだったカフェでもある。そのカフェで、好きなアーティストがライブをする。


カフェモーツァルトアトリエ

ある短編小説を書いているとき、関取花の歌ばかりを聞いていたことがある。その短編小説の世界観に、関取花の曲の世界観がとても合っていた。その頃青森の十和田に住んでいて、近くにライブ会場みたいな場所はなかった。だから関取花のライブに行こうなんていう考えは全く頭に浮かばなかった。それから数年後、仙台の大好きなカフェでライブを聴くことになるとは、その時は全く想像もしていない。

ライブはずっと最高だった。音でしか聞いたことがなかったので、関取花ってこんなに身長の低い人なんだと思ったり、でもこんなに声が出るんだと思ったり、MC上手いなと思ったり。

知っている曲もあれば知らない曲もあったけれど、全部に共通しているのは物語があったことだ。
関取花が幼少時代を過ごしたドイツのライン川にまつわる思い出だったり、美容師をしていたおばあちゃんの話だったり、白血病でなくなった女の子の話だったり。
全ての音楽の背後に物語があった。物語があるから、自分の思い出や自分の物語に重なって、グッとくる瞬間があった。
このツアーは弾き語りツアーで、会場ごとにセットリストが違う。次に何が歌われるのかわからない。だから次は逃避行を歌います、と関取花が言ったとき震えた。
それは僕が小説を書くときによく流していた曲だった。
関取花が歌いはじめる。パソコンの画面に向かいながら何回も何回も流していたあの歌を関取花が目の前で歌う。僕は前から2番目の席に座っていたから、僕と関取花を妨げるものは何もなくて、だからまるで自分の為に歌われているようにその歌を聴いた。その歌を最初に聴いた時から今日までの日々を、祝福されているような気分だった。いつの間にか自然に、頬が濡れていた。

ライブが終わったとき、すっかり満たされた気分だった。関取花の曲を好きでいて良かったと思った。好きをちゃんと大事にして育ててきたから、今日この日がある。何だか救われたような気分で、ホテルまでの夜道を歩いた。

来年もまた会いましょう、と関取花は言った。
会えるのかな、会えたらいいな。
でも来年じゃなくてもまたいつか会おう。
その時まで、僕は僕の好きを育て続ける。



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