嫉妬インタビューの何が面白いのか
わたしは最近、「嫉妬インタビュアー」と名乗り始めた。前にもインタビューはしていたけど、そのときは肩書きは決めずにやっていた。
来月からインタビューを再開すると言っていたのだが、もう明後日からインタビューが始まる。自分でも早いなと思ったが、できるなら早くてもいい。ありがたいことだ。
既に4人の方にインタビューすることが決まっていて、思っていたよりも忙しくなりそうだ。始めようと思っていたよりも早く始められるのは、すごいことで、とにかくありがたい。
そんな嫉妬インタビューは、今回が初めてではない。実は2年前くらいにもやっていたのだ。そのときは、ざっくりとしたやり方でやっていたので、原稿確認とかしてなかったし、録音もせず、メモだけしていた。
だから、今思うと適当にやってたなと思うのだが、その分、フットワークが軽く、すぐにできた。出先で会った初対面の人に、出会ってすぐにインタビューする。そういったことが可能だったのだ。
しかし、それではいけないだろうと考えた。インタビューを受けてもらうのだから、話して終わりではなく、話したものがどんなかたちになるのかを見せるべきなのではないかと思ったのだ。
なぜなら、書く内容はその人が話してくれたことだから。その人の思い、考え、感覚。わたしはそれを借りて、自分のコンテンツにしているのだ。わたしが生み出したのではない。貰ったものを、わたしはただアウトプットできるかたちにしているだけなのだ。
なのに、わたしの独断で記事を完成させ、インターネットに公開するのは、雑な対応なのではないか。話してくれたことによって構築された関係を大切にしたい。そして、緩くでも、浅く広くでも、関係を持っていたい。
そういうふうにわたし自身が1年前から変わってきたのだと思う。だから、今のわたしが納得できるやり方でインタビューしたいのだ。
わたしの作業を増やすだけだと思うかもしれないが、それでいい。それで、雑な対応がマシになるなら、その方がわたしはいいのだ。
ここまで書いたことだけ読むと、大変そうな感じがするかもしれない。実際、大変なのだけど、インタビューすることは面白いのだ。
嫉妬インタビューに関する面白さは、恐らくあまり知られていないのではないかと思う。
そもそも、わたしは嫉妬を知りたくてインタビューを始めた。わたしには嫉妬がほぼ無い。そのためにパートナーを無意識に苦しめることがあった。しかし、それはまずいと思い、いろんな人に聞き始めたのがインタビューの始まりなのだ。
それから、雑談やインタビュー、あらゆるかたちで話を聞いた。一言に「嫉妬」と言っても、人によっていろんな表現がされて、「こんなこともあるのか!」というものばかり。
嫉妬は個人差が大きく、苦しさにかなりの強弱があり、嫉妬したときにどんな言動をするのかも、本当に人によって違う。
嫉妬を見せたくないから、ひとりで我慢する。
嫉妬したら、彼女にも嫉妬させようとする。
嫉妬を感じないから、嫉妬については周りに馴染めない。
そんなことを話してくれる人たちがいた。
たくさん話を聞いて、いろんな返答を知って、いろいろ考えて、わたしは嫉妬インタビューの面白いところに気づいたのだ。
それは、「インタビューすればするほど、嫉妬のことは分からなくなる」ということ。
嫉妬について知りたくてインタビューしてるのに、すればするほど分からなくなる。人によって、全然、違うということばかりが分かってくる。
これの何が面白いのか。よく分からないかもしれないが、答えが出ないということは、永遠にインタビューできるということだ。
あらゆる答えが、もっともっとある。知らないことしかない。分からないことしか存在しない。そこまで言ってもいいくらい、嫉妬は十人十色だと感じている。
だから、とりあえずたくさんインタビューして、話を聞きたい。聞かせて欲しい。あなたの嫉妬がどんなものか。
その話は全て面白くなる。話しながら考えて、掘り下げたり、思い出したりして、自由に話してくれたら面白くなる。本当に。
今は限定してインタビューをお願いしているのだが、もし、該当したら下記の申し込みフォームから連絡してほしい。
少しずつ間口を広げたいのだけど、具体的な予定はまだない。また、noteに投稿したり、SNSへ投稿したりしてお知らせするので、良ければチェックしてほしい。
これから、嫉妬インタビューについての記事を頑張って増やしていくので、また見に来てもらえると嬉しい。
またね。
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