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蓄積の果て

こんばんは。

以前、明日にでも辞めたいパートを頑張ってるという事をちょっと書いた。
そう、頑張っていた。頑張っていた上でちょっと無理そうなのも多分わかっていた。だからこの月(あと2回)を頑張って、そのあと少しお休みをもらって、ひと月後には辞めさてもらおうと自分なりに段取りを決め、職場に相談もし、円満に去って行くつもりだった。

でも蓄積の果ては突然やってきた。ちょっとしたきっかけで私のフィジカルとメンタルは崩壊した。(崩壊は大袈裟か?)
とにかく「もう無理です!」ってなった。次の日から職場に行けなくなった。社会人になりたての若者ならまだしも、50代も半ば、もちろん社会人経験もあったし、それなりの人生経験もあるつもりだったが…。

私は突然に果てた。

今、だいぶ眠れるようになり、食べられるようにもなった。
まだ後悔や不安や情けなさやらが渦巻いていて、次の一歩はまるで踏み出せていないが、少しだけ、少しだけ俯瞰できるようになった。

まずフィジカルとメンタルが同時に果てたのは至極当たり前だ。両者は切っても切り離せないものだ。メンタルが健やかならフィジカルも回復するだろうしその逆も然り。心は大切だ。
また、人も物事もひとつの出来事だけで崩壊するものではない。きっかけはあったとしても、それは引き金になったに過ぎず、いろいろな原因が重なった結果だろう。

蓄積の果て。

私はそう思った。

最終的な退職日については、まだ職場と話ができていない。「行けません」という事は伝えて休んでいるものの、きちんと伝えなきゃ。もう無理なんだから。
もう一度だけ「頑張っ」て、この作業をしないとな…。

突然だが私はエレファントカシマシが好きだ。
彼らの曲で『悲しみの果て』という曲がある。
”悲しみの果ては 素晴らしい日々を 送って行こうぜ” 
という歌詞でこの曲は終わる。

蓄積の果てに力尽きた自分だが、人生の敗北ではないよね?
この歳でイタイつまずきだったとは思うが、自分をあらためて知ることにもなった、と思いたい。自分を知れたのなら、自分の在り方を深めることができたのなら、果てた先にはまた素晴らしい日々がやって来るに違いない。エレカシの歌詞で言うならそれはやって来るのではなく、そうして行こうぜ!ということだろうか。心は大切だ。

頑張らずに頑張れ、自分。

世の頑張っているみんなにもそう伝えたい。

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