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11月6日のタイムは手話通訳士になるのをなぜ、あきらめたのか😅

おはようございます☀タイムです😊気をつけようと思っていることはたくさんあるのに、なかなかできないもんだなあと思うことしきり🤔まあ、出来てしまったら神様なので笑 人間らしいことこの上ない✨この生活、めっちゃ楽しんでいます😆

先日、ろうあ者の友人と会う機会があった😊一年以上前から同じオンライングループでやり取りしていて、初対面では会ったけれど、もうすでに親友💓たくさんお話したのだが、ものすごい久々に手話を使った😆

手話とはこれである😆知っている方が多いと思うので、細かい説明は割愛するけれど、私は手話を

小学生の時から20代後半まで10年以上、サークルに入って勉強していた✨

1番力を入れていたのは高校生〜社会人なりたての約5年ぐらい😊友達の彼氏がろうあ者だった時もあって、あちこちに顔を出すようになり、いろんな所へ遊びに行った😆必然的に手話を使うことが多くなったので、この頃が多分、1番手話ができるようになった時期だと思う。

そして、高校生の時は

手話通訳士になりたい✨

と考えていた。小学生の時から5年ぐらい手話をやってきていたので、そう考えるのは自然の流れだったけれど、早々にあきらめてしまう😅

私が出す言葉(手話)が誰かを傷つけてしまったら、どうしよう😱

ボランティアの手話通訳として、講演会など何回か舞台に上がったこともある。誰かが私の手話を見ているという緊張感と間違って伝えてしまったらどうしよう😅というプレッシャーを感じてしまった時に

手話通訳士は向いてないわ😖

となった🤭その時はそう思ってしまったので仕方ないし、過去には戻れないので😅向いていないと思ったのはベストなんだけど、今考えると

手話通訳をされる方はみんな、そういう壁を乗り越えてきたんだよ。

怖くない人なんていなかったんじゃないかと感じる🤔自分の手話でろうあ者の方は内容を理解するのだ。間違った意図を伝えてしまう可能性だってある。

そりゃあ、めちゃくちゃ怖いさ。


最近よく思うんだけど、何かの岐路に立たされた時

それでも自分はワクワクしているか?

という問いかけで

怖いけど、楽しい😆

ってなれることが本当にやりたいことなんじゃないかと思う。私の場合、残念なことにその問いかけはしなかったので、ワクワクしていたかどうかはわからないけれど、多分してなかった😩

本当にやりたいことなら、エグりながらも進むを選ぶ。

10代に始めた手話はなんとなくだけど、体に残っていて今でも少しなら話すことができる。前述の友人には

「優しい手話」

「ろうあ者と交流していたことがわかる手話」

と言われ、かなり嬉しかった💓まだ体にあるなら、これからいろんな形で生かすことも出来るんじゃないかと考える土曜日の朝☀️

DREAMS COME TRUE 「LOVE LOVE LOVE」

TBS系ドラマ「愛していると言ってくれ」主題歌。私が20代前半の時、サークルで小学生に教えていた時があって、この歌を手話で歌っていた😊他にも

当時、大好きだったこの本の「青いマシンガンがこの世界を赤色に染めていく」などの一節を手話にしていた。今、考えると小学生に教えるにはかなり、内容は不向きだったけれど笑 彼女たちは覚えるのが早くて、しかもすぐ使ってくれるのでとても嬉しかった記憶がある。

そんな子供たちも、30代になった✨全然、交流ないけれど、少しでも手話をやっていたことを覚えてくれていたらいいなあと思う🤔





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