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君はダメねと言われたけれど

今はそれで食べている。世の中不思議で一杯です。

ちょっと昔語りをしてしまいます。関西から上京して、足立区の四畳半--トイレ共同ボットン式--に転がり込んでしばらくは描き溜めたイラストを持って雑誌社を訪ねる日々を送っていました。無論今から思えば素人丸出しの代物で、よくあんなので雑誌社を回ったものだと思います。ええ度胸していました。雑誌社さんも時間を取られて迷惑だったでしょう。

自分には自分が見えません。今の自分はより成長した未来の自分からしか見えません。成長がなければ、やはり見えません。絵も同じですね。自分の絵は見えません。

仕事などあろうはずもなく、あったらむしろ描けなくて困ったでしょう。某有名イラストレーターが、仕事を得たのはともかく描けると思ったものがいざ始めてみると描けなくて、普通の精神状態ではとっくになくなって夜の街を放心状態でさ迷ったとかどこかに書いてありました。一流でさえその有様です。そのときどうしたのでしょうかね。頭を下げて謝ったのでしょうか。とにかく、金のかかった仕事となると急に描けなくなるものです。随分なレベル違いではありますが、そんな経験が私にもあります。以来、絵に関して偉そうなことを言うのは一切止めることにしました。絵画論もやりません。

とにかくそんなことですから、間に合う仕事を探すしかありません。幾つかのバイトを転々とし、その平均賃金700円。今はどれくらいでしょう。何をやっても安い時代でした。

そして何度めかのバイト。お茶の水の古いビルのなかにある版下製作の会社に雇われました。昔ちょっとだけデザインスタジオでバイトをしたことがあって版下経験が多少はあったことから考えたのですが、どういう訳か私は人と合う合わないが激しくて、そこのチーフとも合いませんでした。周りの視線も冷たくて、身の置き所もない感じで仕事をしていました。仕事の指示もつっけんどんだからなかなか手に付かなくて、おまけにこっちも役に立つほどじゃなかったですから--君はダメみたいね--と遂に言われる始末でした。

その空気を敏感に察知して悪乗りで小馬鹿にする若造すら出てくる有様で、どうやら他を探した方が良さそうだと思ったその時、内部に居た人が会社と何やらトラブルがあったようで、独立するから手伝ってくれと誘われたのです。主な仕事はTI図面の作成とインキングでしたが--ダメみたいね--と太鼓判押されている私で大丈夫ですかと問うと--それは見りゃわかるよ、こっちもプロだから--と、そんなことでした。人によってこれだけ違うのでした。もう場所は覚えていませんが、壱岐坂通り辺りの居酒屋に誘われて、手伝ってくれるようにと説得されました。

色々な成り行きでその人とはその後袂を分かちましたが、結局それが生涯の仕事になりました。今振り返ると、誰かが筋書を書いたとしか思えない部分があります。つくづく不思議なものだと思わざるを得ません。

キャッチの絵はかなり昔に描いたものをちょっと細工して流用しました。安価な文具絵の具で描いています。

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