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瓦礫をイメージして描きました

廃墟や瓦礫が何故絵心をそそるのか--と言うことについてはなかなか解明できないものがあるのですが、朽ちた物にはそれなりの魅力があって、廃船を描く人も昔から少なくなかったと思います。

私は廃墟疑似マニアですので、元から朽ちたものは嫌いではありません。誰も手を付けなければ、どんなものでも時とともに朽ちて崩れて瓦礫になり、やがて腐って行きます。それが放置されている状態が、何故描画意欲をそそるのか、描いていながら私には分かりませんが、私の場合、一つには幼児体験があると思います。私が幼い頃に住まいしたアパートの近くに異様に積み上げられた瓦礫の山がありました。

それがどんな経緯で積み上げられていたのか、当時は知ることはありません。何しろ子供です。それよりも、山に登って遊ぶのが面白かったのを覚えています。山を探検すれば、子供の欲しがるようなものが出てくることもありました。私は精々一年足らずで転居しましたが、ゴミの山はかなり長い事そこにあったと聞いています。今から思えば危なかったかも知れません。割れた瀬戸物や、なかには釘の刺さった廃材もあったでしょうから。

しかし幼児体験だけでは説明はできません。そんな経験のない人であっても廃墟趣味は存在しますし、アニメの背景やコンセプトアートでも瓦礫や廃墟はその作品を決める重要な役割を果たします。そちらの方へ進みたい人は練習が必須じゃないでしょうか。

瓦礫の街

瓦礫とはちょっと違いますが、周辺の美術展を拝見しても、朽ち果てた樹木--腐木--などを描く人をよく見かけます。注意しなければ、それらはいささかくどくて目をそむけたくなるような結果になっている場合があります。もちろん私が描いていてもそうなりがちです。

これらには、言ってみれば非日常的なゴチャゴチャした密度がありますので、緻密に描けば画面密度が得られるように思ってしまうのかも知れません。しかしそれは時としてくど過ぎる嫌な画面になりがちです。その辺は難しいのですが、最初はそうでも、続けることによって徐々に興味深いものになって行くかも知れません。

昨今、街が瓦礫に変わって行く姿をニュースなどで見せつけられていますが、普段はモチーフとして用いていても、このような場合はいささか熱意を挫かれる思いがするのも事実です。しかし動画や写真ではなくアートとして今の惨状を記録にとどめようとする人は出てくるかもしれません。

機会があれば瓦礫や腐木の絵を以後も公開したいと思います。瓦礫や朽ちたものはゴミとはちょっと違ったものなのですよね。

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