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挫折をして強くなる④

ハッピーもアンハッピーも全部ひっくるめて生きていこう。森川耶美です。

④まできましたが、全部フィクションみたいなノンフィクションです。

既にわたしは退職していて、そろそろ実家に戻ろうと思っていた頃、家の周りに金木犀が咲きはじめました。

彼は金木犀が大好きで、香りを頼りに金木犀を探しにいく旅に出るのが2人の時間の過ごし方。

本当、少年少女のような生活。

そんなある夜、仕事に行った彼が連絡もなく帰ってきません。

たまに帰ってこない日もあったので、あまり心配していませんでした。

友達と遊んで盛り上がっているのかなー、と。

わたしは彼が帰る場所を作っていられるだけで幸せだったので、彼の交友関係など詳しく知らなくても不安ではありませんでした。

わたしの中で"付き合う人"は"尊敬している人"なので好きなことをして過ごして欲しいんですよね。

ほかに女の子がいてもコッソリやってくれよ、と。笑

今でも恋愛に関してはそうですね。まあ、またこの話は今度。

シェアメイトも心配をしている中、知らない電話番号から突然電話がかかってきます。

『○○病院です。あなたに電話をしてくれと言われて代わりにお伝えします。彼はコンビニで滑って転んで棚に頭を打ってしまって、現在入院しています。脳内すこし出血していますが、軽度なので明日には退院できますよ、安心してください』

ドクンと一気に跳ね上がる心臓。

確かに朝は具合が悪そうだったけれど、コンビニで滑って転ぶだなんて相当疲れていたんだな...

言われた言葉をよく覚えていません。かなり気が動転していたわたしは大切なことを伝え忘れてしまいます。

"彼は飲酒のせいで膵臓が弱い"ということを。

彼も仕事に悩んでいた時期で、毎日大量のお酒を飲んでいました。そのせいで膵臓が悪く、一度通院したこともあったのです。

気が動転している私は、膵臓のことを病院に伝えることなど念頭にもなく、そのまま電話を切ります。

『わかりました、明日お迎えにいきます。よろしくお願いします』

長野に住んでいる彼のお母様に連絡をし、明日、2人で病院に行く約束をして眠りました。

早く顔を見たいな、心配だな。まあでも、すぐ退院できるならよかった。

そして次の日、約束の時間に病院に着くと、彼のお母様が病院のソファに座っていました。

実家に挨拶に行ったこともあったので、お母様と会うのは2回目です。

わたしに気がつくとゆっくり近づきこう言いました。

『ゆみちゃん、落ち着いて聞いてね、

彼は、後、もって7日だそうです』

頭が真っ白になりました。

人間驚きすぎると声が出ないんだなぁ、なんて。思ったり。

彼はくも膜下出血で、植物人間になってしまいました。

昨日の時点では健常者だったら止血できる程度の脳内出血だったのが、膵臓の機能が弱っていたから止血ができず、一晩で脳内に血が満ちてしまって、くも膜下出血になってしまったのです。

そんな、どうして。

ああ、膵臓ね。弱ってたよな。一緒に病院行ったもん。

なんで、あの時、電話で膵臓が弱ってることを言わなかったんだろう。

わたしの一言があれば、助かったかもしれない。

大きい病院に搬送されて、緊急治療を受けられたかもしれない。

わたしのせいだ。

自分を責め立てました。

愛する人を亡くすかもしれない、という不安はもちろんですが、24歳という若者の命が絶たれてしまうかもしれない原因が少なからず自分にある、という重たい現実がのしかかってきます。

そしてお母様と泣きながら、

いつ死ぬかわからない彼の一週間分のオムツに名前を書く作業をしました。

昨日まで愛していた人、生きていた人が排泄も自分の意思でできなくなる。

"また明日"の約束なんてこの世にはないことを痛感した22歳の秋。

大量のオムツに名前を書くことは、悲しい、重たい作業でした。

けれどそんな作業も虚しく、

その日の夜8時に容体は急変。


沢山の彼の友達に見守られて、

彼は息を引き取りました。

②愛する人を突然失うという経験がわたしに教えてくれたこと

しばらくは誰のことも好きになれませんでした。

一か月ほど実家に引き篭もりながら、泣いて暮らしてました。

好きだったインディーズバンド、ピアノゾンビの『ベイビー、ベイビー』ばっかり聴いてた。

https://youtu.be/xc7-vV2kPWY

何をしていても楽しくなく、美味しくなく、全てが思い出に繋がってしまい、過ごした過去を振り返って泣いている日々。

けれど、太陽は登るし、お腹は減るし、夜は眠くなる。

一か月という"時間"の流れがわたしの心を落ち着かせていきます。

外に出たくなってきました。

そして考えることを始めます。

人はいつ死ぬか分からない。

隣にいてくれる人を大切に、そして敬意を払わなくてはいけない。

いってらっしゃいの後にただいまを聞けることが当たり前だと思ってはいけない。

愛する人が生きていることが当たり前ではない。

24歳という若さで生涯を終えた彼の"死"を通じて、私はいろんなことを教わりました。

明日世界が終わるとしても、後悔しないように生きていかなければいけない。

次に進むステージはまだ決まっていない。それならば...

"彼が好きだった場所で、人の為になることをしたい"

そのときのわたしは

"人の為に"という想いが、

立ち直る為の原動力になりました。

今思うと、わたしのキリスト教の母校の敬神奉仕の精神に近いですね。

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自分も必ず死ぬのであれば、人の為になにかしたい。自己表現をすることは、人を喜ばす為にすることなんだ。

こうしてわたしは、彼の好きだった場所で、

パフォーマーとしてではなく、

人のために何をするか考えることができる

『テーマパークスタッフ』として働き始めるのです。

今日はここまで。つづきはまたね。

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