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自殺未遂をした話

なんでもいいから死にたかった。

遺書も書いた。今となっては無意味になってしまったが。

そもそも意味なんて無いに等しい遺書だった。

ありがとう、みんなのことを愛したかった。上手く出来なかった。ごめんなさい。

それだけ。
特定の個人に何かを遺そうなんて思わなかった。
とにかく自分自身を無に帰してあげたかった。

死にたいと思った理由も、特に無かった。と思う。
些細なきっかけに触れたことで普段から抱えていた希死念慮が暴走しただけだ。

今も希死念慮は抱えている。

希死念慮が消えない理由なら幾らでも挙げられる。
誠実さの欠片も見せないパートナー(笑)。
真面目に取り合うのが馬鹿らしくなる人達。
みえない将来。
熱中できることが見つからないままただ無益に過ぎていく毎日。
噛み合わない家族とのやりとり。
私なんて居なかったみたいに幸せそうにしてる友達。

要するに自分のことがどうでもよくなったのだと思う。

「死にたい」を口にできる人間も周りに居なかった。
誰にもSOSが出せなかった。
おそらく今でも独りだ。

ベルトを使い、一人暮らし部屋によくある室内用洗濯物干しで首を吊ったが、気がついたら床の上に倒れていた。
後で分かったが、どうやらベルト自体が解けてしまったらしい。起き上がって見たらベルトは既に輪っか状ではなくなっていた。

「気がついたら倒れていた」と書いたが、正確にはこれは偽で、時系列で言うと逆だった。
床の上で仰向けになっていることを数秒かけて認識したのだ。

とめどない思考や単語の数々が浮かんできた、眠りに入る直前みたいに、でもそれとは比にならないくらいの速度で。
何を考えているんだっけ、と思う暇はなく、掴みどころのない思考が飛び回る中で、少しずつそれらが焦点を合わせるように、消えていった。
意味のわからない言葉たちが消えていくのと同時に眼のピントも合い、そこでようやく「いま私は天井を見上げているのだ」と認識した。ただの白い天井だが、どことなく視界は水色がかっていた。気がする。

俗に言うと「飛んだ」のだろう。
後遺症などはギリギリのところで免れたとも言える。
運が良いのか悪いのか、今の私には判断が付かない。
なんてったって、プールや川で溺れて死んだ人たちのニュースを眺めては、その不運を代わってあげたかったと思う毎日なんだから。

あいにく物理的に飛べるほどの高さのある建物に縁が無いので、飛び降りることはおそらく不可能なのだと思う。

だが、
飛べたら、と思う。
羽なんて無いことは分かっている。
墜ちてしまえばいい。

安吾も言っている。
「生きよ、堕ちよ」
我思う故に我墜ちよ。
あ、これは墜落論か。

そういえば、文字通り必死になって希死念慮が酷い時に寄り添い続けた人間には、恩を仇に変えられた挙句、山師よろしく値段をつけて売りつけてきたので、それも結構、頭に、ではなく精神にきたのだと思う。
恨むことすら面倒なので、自分が死ぬ方が効率的で生産的に思えた。
その考えはやはり今でも変わらない。

生きる理由を見出している人がいるなら教えて欲しい。
自分の価値観を押し付けて大丈夫です生きてりゃいいことありますとか軽率に言ってくる無神経さも綺麗事も要らない。

行きつけの本屋で「自殺会議」を買ってこの希死念慮と向き合ってみようか、と思ったが、母親への感謝と償いのつもりで、ちょうど展示販売されていた作家のうつわを買って帰った。予算不足で本は買えなかった。
「自殺の当事者」からもう少し遠ざからないと、読むのが難しいかもしれない、もっといいタイミングで読めるだろう、と自分に言い聞かせた。

母親はすごく喜んでくれた。

今週末、祖母の誕生日に通院を兼ねて帰省する。
今より少しでも、心から誕生日を祝えるように、穏やかな心になっていたい、と思う。
それがきっと私という存在に直接繋がる家族への感謝と孝行、即ち愛で、
家族を正しく愛せるようになれば、もう少し、自分のことも大事に思えるんじゃないかと思うから。

明日からも、自分を愛せない傷だらけの自分を抱えて生きていくのだろう。

未来形で締めくくることに、残された少しの希望を託して。

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