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普通な人になれなかった私。

昔からそうだった。
特別扱いの兄達と、そうでない私。
期待される兄達と、普通で良い言われる私。


おかげで、19歳になるまで祭りに行ったことが無いし、友達と出店にも行った事がなかった。

テレビゲームも昔から今までの種類全種類あるのに、やって良いと言われたのは兄達だけで、私は見るしか許されなかった。

というか、「行きたい」「やりたい」を言う前にダメだと思わさせる"何か"が必ずあった。
例えば、お祭りは男の子が行くと教え込まれたり、ゲームをしていたら目が悪くなるとか。
遠回しに必ず、必ず否定されていた。

そんな事言い出したらキリがない。そんな事を言いたいわけじゃない。

正直、この"否定の連続"があったから、"親の常識"では無く、"世界の真実"を知りたいと思った。

はっきり覚えている。
10歳の夏休みには思えていた。
"これからのキラキラした世界が楽しみで、夢いっぱい"って言うよりも、"落胆する世界しか待っていないだろう"と呆れ半分で生きていて、
一般的な子供よりも、全く可愛くない大人び過ぎていた子供だった。まぁ、それを隠す為に子供みたいに振る舞っていたが。


両親からはよく「普通で良いのに、何で出来ないのか」と言われることがあった。
けどどうしてもよく分からず、普通って何?とよく思っていた。



両親が言う「普通」とは、
普通に可愛げのある、普通に学力のある、普通に愛嬌のある、普通に謙虚で素直な、普通に女の子らしい女の子だった。

それが当たり前だから、と押しつけられて育っていたが、10歳を過ぎると
「それって難しくね?」と気づいてしまった。


そこからは普通という言葉は信じず、いや信じてるも何も無く、
むしろ、そんなハイスペックな普通人間が居るなら連れて来いよ、と10代でありながら内心思っていた。

まぁ、所謂反抗期だろう。
きっと、この反抗は未だに冷戦である。
たまに爆弾を投下してくるが、私は冷戦を突き通している。


「普通とは」

たしかに、普通であれば困る事は少ないだろう。
広く通用するって、最強じゃない?これって普通か?と思うのは私だけだろうか?


私が子供の頃に思っていた"普通の見本"は、今だに出会った事がない。

「ほんまこいつ普通過ぎるなぁ」って思ったり思われる事って、むしろ見下していないか?
広く通用してるはずなのに、普通過ぎると特徴が無いからか、下に見られている気がする。あくまで、気がするだけだ。



「変わってるよね」

そう言われ慣れたからか、そう言われてもそれで良いと思っていた。
変わっていても、いじめられた事は無いし、退学になった事は無い。友達も居た。学校的に言うと、規則をきちんと守る良い子だったと思う。

変わっていると言う理由を聞いても、みんなが何がかは分からないと言ってきた。
当時は"変わっている理由"が分からず、困っていた。だか、良い意味だと言われたから安心していた。

でも、変わっていると言われると両親に話したときには怒られた。
「変わっている子を持って恥ずかしい」と。

まぁ、もうその頃には、鋼の心が出来上がっており、どんな事を言われてもポジティブに捉えられる能力を手に入れていたから、
「ごめんね、こんな娘で」くらいの感覚で受け答えしたと思う。
良い意味という、ざっくりとした言葉だけを信じて、私は社会人になった。



「え?変わってるって素敵じゃない?
普通じゃ無いんだよ?
特別で、個性的で。最高じゃん?」

社会人になって、一番の戦友にそう言われた。
「お前、ほんま普通じゃねーな」
と言われ続けていたが、
昔から言われるけど実は嫌なんだよね、と話したら、この返答だった。

その戦友は、私から見たらまあまあ変わっている。
でも、可愛げのある変わっているで、人を惹きつける能力があった。
私には無い。

ーーーなぁ、何が変わってる?
ーーーえ〜。分からんけど、なんか雰囲気?なんか、何言っても受け入れてくれる感じとか?なんか、分からへんけど、なんでも話せるなぁって思えるから、だからお客様もあんたには打ち解ける人多いと思うで。なんやろか。抽象的な言葉では出てこない。でも嫌な感じは絶対にない、というのは間違いない。

そう言われた25歳、雨の日。
私は救われた気持ちで、雨の音で涙を隠しながら、彼女には叶わないなと思った。



普通とは。
未だに分からない。
そして変わっている事に対しても、別にダメだとも良いとも思っていない。

ただ、一つ言えるのは、
子供を子供扱いし過ぎない親になろう
と思っている。

両親の言っていた、
普通に可愛げのある、普通に学力のある、普通に愛嬌のある、普通に謙虚で素直な、普通に女の子らしい女の子、というのは

つまり、「人に愛される様に賢く生きなさい」という事だと、大人になって分かった。

子供には分からないと思っていただろうが、
私にとっては一番に理解しやすい言葉だったと思う。


ただ、両親は両親なりの人生を歩んで、私を守りながら育ててくれた。
その有り難さを理解しているが、本当にそれが正しかったのかは分からない。
だから
10歳の頃に思った、
親の常識"では無く、"世界の真実"を知る旅
を続け、これからも沢山の人と出会うだろう。



チョコレートに牛乳


「普通の人でええねんけどな」
そう言ってしまうのは、相手に求めているモノがはっきりしていないからだと思います。


だって、好きな人に求める条件って「普通の人」じゃないですか?
で、普通過ぎると、それはそれでダメなんですよね。
ほんと、普通って難しい。



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