究極の心の安寧を得るために(幸せを求めないと幸せになる)



現代人の誰もが抱えるこの「不安」という感覚。これさえなかったら人生がどれだけ爽快なことだろうと、このテーマを長い間ずーっと考え続けている。
そして今ようやく光明が見えてきたその成果の一端を紹介したい。

今抱えている具体的な問題の成り行きが心配であるというのは至極わかりやすく、それ故にさしたる課題ではない。

それよりもなんだかわからないけど「漠たる不安が心に巣食っている」状態こそいちばん厄介な問題だと感じる。


『不安』は時系列としては、過去のことでないことは言うまでもない。

「今私は不安だ」これは会話では成り立つが、正確にいうと「今の瞬間自体が不安だ」ではなく、この瞬間以降に起きることがらに対して抱く気分であるはずだ。
したがって現在のことでない。

私が行っている瞑想では、
最後に「森羅万象すべてを愛します」というアファメーションで終わる。


この「森羅万象すべてを愛します」の思想(理論)を過去•現在のみならず未来にも当てはめると、
究極の心の安寧を得られる。

森羅万象とは、これまでのことや今現在のことのみならず、これから先に予想されることを含める。すなわち起こることすべてを受け入れるので、結果的に将来に何が起きても大丈夫だとの心構えを作り上げることになる。したがって不透明な先のことに関して、少しも不安でなくなる。


具体的には次の2段階の作業を行うことが必要だ。

❶今、目の前にあるこの問題に直面して、あるいは選択しようとする事柄に際して、まず「状況に一切抵抗せず、100%うけとめる。」すなわちその心の姿勢を明確にし、覚悟することから始まる。

❷次に、これまでの『この状況に対し、なんとしても成功しよう、少しでも多く得をしよう、うまくやろう』(自我のもたらす煩悩)という誰もが自動的に生じる欲の心から、
『どうなっていようと、どうなろうと、目の前の運命に一切抵抗せず、その状況と結果をじっくり味わおう』に切り替える。


あるいは今までだったら、「痛み」「苦しみ」「悲しみ」だったはずの自動的な反応や受け止め方も、逃げずに正面からその感情に浸ってみるのである。

こうした一連の取り組みを経て、
気負いや緊張感や、うまくいかなかったらどうしようという潜在意識が常に抱えていた不安が次第になくなり、心の真の安寧が得られる。

すなわち、これが「幸せを求めないと、逆に幸せになれる」という副題の正体である。



ここでもう一度整理してみたい
❶目の前の不快な現実に抵抗して  
 いる自分に気がつく
❷世界は1秒すら前に戻らないことを知り受け入 れるしかないことに気づく
❸それを味わう
    (その状態、状況に甘んじて身    
      を委ねる)
❹それを愛する
   (その状況の良い面を発見し、  
      むしろポジティブにとらえる   
  ようになる。

こうした一連の段階を経て成熟した人間としての心のありようを体得することとなる。



いずれにしてもここまで述べたような段階に近づくには、徹底して自分を俯瞰できるようになることが必須条件です。

ただしこの俯瞰という心の進化を日常生活の中で真に体得するのはなかなか難しいかもしれない。
私の場合はやはり瞑想、それもヴィパッサナー瞑想(気づきの瞑想)を日々続けることがもたらす成果だと実感している。


#気づきの瞑想 #ヴィパッサナー瞑想 #心の安寧 #不安 #安心




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