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#12 砂漠で生きる「日曜日のコント」

『ゆめみるけんり vol.2』(2017年12月刊)から転載します。

——

部屋に住む人たちと、それ以外の人たちへ

7月2日 日曜日

 散歩をしている途中、日が暮れたらギリシア料理を食べにいこうと思った。
 散歩から戻り、アパートの扉を開けるとNがきていた。リビングのソファに深く腰掛けてくつろいでいる。ぼくは手をあげてあいさつをした。Nも「よう」と返した。
 部屋では、キョドム・コーエンの1964年の名盤『灰色ワインの一滴』より「ジブラルタルの夜」がかかっていた。小気味よいハイハットのリズムにのったしっとりとした歌声が、時々オリエンタルな響きを得る。それにまじって、バスルームからはシャワーの音が漏れ、彼女が入浴中なのが分かった。
 ぼくはベランダに出て、煙草に火をつける。午後の空にむかって、ため息をつくように煙を吐き出す。Nが唐突にぼくの部屋のソファを占領しているという状況に、冷静に対応しようとした。
 学生時代からの友人で、今も近くに住んでいるからといって、Nがぼくの部屋にいきなりあがりこんでくるのは、ちょっと違和感がある。
 彼女も彼女で、Nがいるのになぜシャワーを浴びているのだろう。彼女がバスルームに入った後、Nが勝手にやってきたのだろうか。彼ならやりかねない。そうだとしても、玄関の鍵を開けたまま無防備に入浴している彼女も、ちょっと奇妙だ。
 ぼくはまだほとんど吸っていない煙草をもみ消す。Nも彼女も、どこか抜けているところがある。この部屋はぼくがいないと破綻してしまう。突風が吹いて、ベランダから見える河原の道を、白い日傘が回転しながら飛んでいく。女の子が慌ててそれを追いかける。ぼくは部屋に戻った。
 Nがにやりと笑う。
 「小説を書いたんだ。読んでみないか」という。
 ぼくは適当に返事をし、グラスを取り出して、氷のたっぷりと入ったレモネードをつくる。自分の分と、Nの分。彼女のグラスも用意する。
 レモネードを飲みながら、Nが渡してきた原稿用紙の束を見つめる。ぱらぱらとめくる。20枚くらいの短い小説だ。
 「バンドはもうやめたの?」とぼくは聞く。
 「俺の才能は小説に生かすべきだって、最近気づいたんだ」Nはいう。
 「俺の想像力があれば、小説なんていくらでも書ける」
 Nは小説の可能性について語った。
 ぼくは適当に相槌を打った。
 レモネードは氷が溶けてだんだん薄くなった。
 「この小説を映画にできるとしたら、ジョン・カタリくらいだな。あの人なら納得のいくものがつくれそうだ」とNは得意げにいう。
 「そうなんだ」とぼくは答える。そんな監督は知らなかった。
 「もう一度リピートして!」とバスルームから叫ぶ声がする。「もう一度!」
 「ジブラルタルの夜」の壮大なアウトロが終わって、次の曲が始まっていた。ぼくはリモコンを操作し、「ジブラルタルの夜」をもう一度最初からかける。彼女はそれきり黙った。まだシャワーの音は聞こえている。Nは曲に合わせて口笛を吹きだす。
 夕日が窓から差し込むと、ぼくはギリシア料理レストランの営業時間を検索した。遅くまでやっているようだ。
 ついでにジョン・カタリ監督についても検索した。
 去年の夏に死んでいた。
 彼女がドライヤーで髪を乾かす。
 Nの小説は案の定、下手でつまらない。
 そのNはソファでうとうとしている。もう何周目か分からないくらいリピートされた「ジブラルタルの夜」。
 キョドム・コーエンの声が歌う。

 ジブラルタルの夜はいつまでも明けない
 恋の炎がきえない限り

 日が暮れるのを待って、ギリシア料理を食べにいこう。日曜日はもうすぐ終わってしまうが、この部屋にいたって同じことだ。
 日が暮れるのを待って、ギリシア料理を食べにいこう。Nもくるだろうか。そんなこと、ぼくの知ったことではない。

7月9日 日曜日

 暑さは次第に厳しくなっていった。
 空気は黄金色に輝いて土と植物は乾いた。
 ぼくはエアコンをつけて部屋にこもった。
 Nと彼女は都心の公園の片隅でやっているというニューデリー・フェスに出かけた。
 ラジオからは、都内で起きているホームレス殺人事件のニュースが流れていた。
 ぼくは読んでいた雑誌を放り投げて、ソファから立ち上がる。少し眩暈がした。冷蔵庫まで歩いていって、バニラ・アイスクリームを取り出す。アイスクリームを食べることは、かなり文明的な行為だと思ったのだ。
 食べながら、Nと彼女のことを考えた。こんなに暑い日に、彼らは冷房のきいた部屋でアイスクリームを食べることを拒否して、公園に出かけていったのだから、とても野蛮だ。 それに、ぼく抜きで都心の公園までたどり着くことができるのだろうか。Nも彼女も、電車を乗り継いで目的地に到達できるほど、都市のシステムに順応してはいないはずだ。
 学生だった頃、Nはずっと自転車に乗っていて、電車で移動したことがなかった。一度サークルのみんなで隣の県まで海水浴に出かけたとき、Nは自転車で4時間かけてやってきた。海に数分つかると、帰りも時間がかかるからといって、そのまますぐに帰っていった。なぜ電車に乗らないのか聞いたことがあるが、Nは不機嫌になって答えなかった。
 彼女はといえば、道端に蟻の行列なんかを見つけると、しゃがみこんでじっと見つめたまま、30分くらい動かないことがあった。そんなとき、ぼくはじっと待つしかなかった。
 彼らの旅路は、どこかで破綻しているに違いない。そもそもニューデリー・フェスとはなんだろうか。カレーを食べるのだろうか。ぼくはニューデリー・フェスについて検索した。何もヒットしなかった。
 太陽が自分勝手なスピードで傾き、夕暮れ時になった。ぼくは今日の夕飯のことを考え始める。彼らはお土産にカレーを買ってくるだろうか。ニューデリー・フェスがカレーにまつわるイベントだという確証も、彼らが無事に公園にたどり着いて戻ってくるという確証も、はっきりしたことはなにもなかった。
 玄関の外が騒がしくなった。
 乱暴に扉がひらいてNの顔がのぞく。ものすごくにやついている。彼女の顔ものぞく。これまでにないほどにやついている。
 「ヨバ・ノ・ンダストゥルメ・オーケストラのみんなを連れてきたよ!」
 Nと彼女は同時にいった。
 浅黒い肌の人々が数人のぞく。
 「コンニチハ!」と彼らはいった。

 ぼくたちはビールをたくさん買って、歩いて河原の公園までいった。太陽はあっというまに対岸の山のむこうに沈んでいった。ぼくたちはビールを飲み始めた。ヨバ・ノ・ンダストゥルメ・オーケストラのみんなは、色々な種類の民族的な太鼓を持っていて、それらを叩いて音楽を演奏した。その音楽はシンプルかつ複雑なリズムを持っていたので、ぼくたちは色々なステップで踊ることができた。
 河原の公園には、ぼくたちの他にも人の気配がしていた。彼らははじめ、茂みに隠れてじっとこちらを見ていたが、次第に姿を現わし、音楽に合わせて魔物の踊りを踊ったり、手拍子をしたりした。ぼくたちは楽しかった。
 太鼓のリズムが時間を切り刻んだ。
 砂粒のようになった時間は、宙に舞いあがって、ぼくたちに降り注いだ。日付も曜日もなくなった砂漠で、ぼくたちは踊っていた。
 川は浅く広く流れていた。川のむこう側で、時々なにかが光るのが見えた。松明に火がともっているようだったが、それがすぐ対岸にあるのか、遠くに横たわる黒い山腹にあるのかは、よく分からなかった。

 翌朝、目を醒ますと、ヨバ・ノ・ンダストゥルメ・オーケストラのみんなも、公園の人々も、Nもいなかった。
 彼女だけがトーストを焼いてコーヒーをいれていた。
 ぼくは仕事に出かけた。
 昨日より少し涼しい気がした。

7月16日 日曜日

 この日に関して、書くべきことはなにもない。なぜなら翌日、7月17日が祝日だからだ。彼らは日曜日の午後を存分に楽しんだ。

7月23日 日曜日

 こんな夢をみた。
 ぼくは玉座としかいいようのない贅沢な椅子に座っていた。ぼくの両脇には、白い布をまとった2人の女性が立っていて、1人は大きな葉っぱでぼくをあおいでくれていた。なんとなく口を開けると、もう1人の女性がぶどうを1粒いれてくれた。ぼくはくつろいだ。
 ぼくたちは白い石造りのがらんとした部屋の中心にいて、その部屋にはぼくたち以外にだれもいなかった。部屋に通じる広い階段を彼女が登ってきた。白とピンクのスポーツウェアに、黒いナイキのランニングシューズを履いている。
 「世界観をこわすなよ」とぼくはいった。「あんたこそ、なんて格好してるのよ」と彼女はいった。
 ぼくが自分の身体を見ると、ぼくは全裸だった。とても恥ずかしくなった。
 気まずさを紛らわすために何か話そうとして、口を開けたり閉じたりしていると、ぶどうが1粒押しこまれた。両脇の女たちは無表情な動作でそれぞれの仕事をこなしていた。
 ぼくは「ありがとう」といった。
 彼女はぼくをあきれた目で見ながら話を始めた。
 「都市の根っこが腐ってしまったのよ。もうすぐこの都市は崩壊するの。なんとかしなくちゃいけないわ」
 「それは大変だ。とりあえず服を着なくちゃ」とぼくはいった。
 ぼくをあおいでいた女性が、大きな葉っぱを腰に巻いてくれた。「ありがとう」とぼくはお礼をいい、彼女と並んで階段を降りてバルコニーの方へ歩いていった。
 なるほど、ぼくらは真っ白に輝く宮殿のような建物にいて、そのバルコニーからは都市の全貌を見渡すことができた。都市は果てしなく、地平線のむこう側まで広がっているようだった。神様がつくった素晴らしい道具みたいなクレーンがあちこちに立っていて、それはこの都市が今でも活動を続けていることの証だった。
 「だれだ、こんなに文明を発展させたのは」ぼくは思わず声をあげた。
 「私の知ったことではないわ」と彼女が冷たくいった。

 問題を解決するために、ぼくたちは特別顧問のジョン・カタリ監督を部屋に招き、都市文明の行く末について話し合った。カタリ監督は年老いてなお豊かな黒髪をかきあげ、意味ありげにぼくを見つめた後、いくつかの示唆的な発言をしたのだが、それはここでは省略される。なぜならあまり意味が分からなかったからだ。ぼくはカタリ監督の話を聞き流しながら、彼の背後にある窓から外を眺めていた。
 都市はこのまま発展を続けるように思えた。
 建物は老いては再建される。低層マンション群を見下ろす高層マンション群。無数の水路、水道橋のアーチ。道路と線路の奇跡的なねじれの位置関係。エンタシス、エンタシス、エンタシス。都市の根っこが腐ってしまったなんて、そんなことがあるのだろうか。クレーンは今だって動き続けているじゃないか。
 そんなことを考えながら、ぼくは風景をどこまでも見た。遠くや近くを見た。ふと焦点があわなくなった。眩暈がした後、ぼくは都市の全てを知っていた。それを形作っているものは鉄骨でも部屋でも建物でもなかった。ましてや、人口でもなく、貨幣でもなく、軍隊でもなく、労働でもない。
 日曜日の午後の、アニスの入ったパン、レモネード、夕方のチャイム、ソファに座ること、シャワーの音、石鹸の香りのする手、借りてきた映画、少し吸った煙草、太鼓の音、遠い木霊、近いダンスミュージック、ビールとビールの空き缶、野菜を煮込んで、夜の風が吹いたり、そういった記憶が重なり合って、ぼくの中でこの都市は成り立っていた。
 都市の上空には、巨大で透明な円環が浮かんでいた。日曜日とその次の月曜日をつなぎあわせてできた円環だ。その中に甘く静かな毒薬が流し込まれるのを見た。
 ぼくたちは空へ昇っていった。
 もしくは都市が足元から崩れて深い川床へ沈んでいった。
 彼女の手を握っていた。
 都市のあちこちから、人々が浮かびあがってくる。もう役割を終えたクレーンが宙に舞って、ゆっくりと自由落下を始める。これが真実であるならば、ぼくたちはどこまでも昇っていこう。あの円環を通ってどこまでも。そして、その先には……
 だれかがぼくの名前を呼んで、我に返った。
 カタリ監督が、両手を差し出してぼくの手を握っていた。
 深く皺の刻まれた顔に、意味ありげな微笑み。

 ぼくたちは宮殿の中庭に出て涼んだ。
 オレンジ色の陽光の中で、庭中に咲き乱れたブーゲンビリアの花が南からの風に揺れ、カタリ監督の表情に意味ありげな明暗を投げかけていた。
 彼女がティーのグラスを4つ運んできた。
 ぼくと彼女と監督と。
 あと1つは?
 Nの分よ。
 Nは?
 「チュウチュウ」と鳴く声がして、ぼくは足元を見た。スナネズミになったNが地面を這っていた。
 ぼくはちょっと笑った。
 「ここではスナネズミなんだね」
 カタリ監督が意味ありげに頷いた。
 玄関のインターホンが鳴った。
 宮殿の広い中庭の隅には、ぼくのアパートの狭い玄関がついていたのだ。玄関の扉が開き、眼鏡をかけて黒いスーツをまとったインテリ風の男が立っていた。襟の部分に金色のバッジが光っていて、ぼくはすぐにそれがエキュメノポリス統一政府のものだと分かった。男が無言で銃をかまえる。銃口はこっちを向いていた。
 「危ない」とぼくは思って、彼女を引っ張って身を隠そうとした。一瞬の出来事だった。銃は発射された。

 「監督!」ぼくは監督のもとに駆け寄った。身体に銃撃を受けたカタリ監督は、地面に横たわっていた。銃が発射される直前、彼はぼくたちと銃口の間に躍り出て、ぼくたちを守ったのだった。
 優しい眼をしていた。ぼくが呼びかけると、彼はうっすらと乾いた唇を開き、意味ありげになにかをいいかけたが、そのまま息絶えた。
 ぼくは監督を抱き起そうとした。
 スナネズミのNが、監督の背中に押しつぶされて死んでいた。

 夢は終わった。
 彼女がぼくを起こしたのだ。
 昼寝をしていたら、日曜日の午後は終わりかけていた。夕日が部屋に差し込んだ。香ばしい、いい匂いがしていた。
 「ピザを頼んだのよ。2枚きたから、Nも呼んできなさい。チーズが固まらないうちにね」彼女はいう。
 「そのうちここにくるよ」ぼくは答える。
 太陽が沈むのも、チーズが固まるのも、ぼくにはどうすることもできなかった。
 部屋はとても静かだった。

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[作者より]
かつての日曜日の午後、部屋の内側と外側には日常の生活がありました。
これからもあるはずです。部屋がある限り必ず内側と外側があるからです。

[砂漠で生きる:1人生活ユニットです。主に短編小説を書いています。Twitter : @mstkaqrg note : https://note.com/sabakudeikiru